■担任の先生の好意的な点を、あえて子どもの前で褒める
私の息子の担任は新米の女性の先生で、熱血ぎみなところがあり、生徒一人ひとりのことをかなり細かくみてくれています。私は、担任の先生のそんな好意的な点を、あえて子どもの前で話して褒めるように意識しています。
子どもたちは、親による学校や先生への態度を、思っているよりも観察しているものなので、絶対に子どもがいる前で悪いニュアンスに聞こえてしまうことは言わないよう気をつけるべきです。「もっとこうしてほしい」といった不満や要望も出てくるでしょうが、そんなことは親同士、携帯を介して話せばいいことです。
親だけではなく子どもたちからも、学校や先生に対する不満が湧いてくることもあるでしょう。そんな時は軽く受け流すのではなく、しっかりと向き合って話を聞き、子どもの中にたまった気持ちを吐き出させます。そしてスッキリしてきたところで、「でも、こういう良いところがあるよね」「こういうことをしてくれているよね?」と、良い点を挙げ、好意的な方向へと向かせます。
さらに、冒頭に書いた「社会的証明」の力も借りて、「誰々ちゃんのお母さんもそう言って褒めていたなあ」と、他人の意見を付け足せばなお良し。一つの悪いところばかりに焦点を当ててしまわないよう視野を広げて、全体的に良いところが見えやすいように誘導します(明らかにおかしい点・嫌な点をがまんさせる、という意味ではありません)。
■担任の先生を嫌いになったら、授業への意欲もしぼむ
それから、自分が言った先生への褒め言葉に関して、あえて子どもに、「そう思わない?」と同意を求めるワザも使います。人は、自分が誰かの前で言ったことに対して、その後も一貫した態度をとるという習性があります。つまり、子どもが一度でも、「あの先生にはいいところがある」と言ったならば、その後は自然と、先生の良いところを見つけるように動いてしまうのです。
一般的に、担任の先生は1年間変わらないものです。つまり子どもたちと担任の先生は、非常に長い時間を共に過ごすことになります。それなのに、担任の先生のことが嫌になってしまったら、学校にも行きたくなくなりますし、授業への意欲もしぼんでしまうわけです。
先生も人間ですから、当然、しっかりした人もいれば適当な人もいます。自分の子どもにとって、性格が合う・合わないという箇所もあるでしょう。その辺りはもう「くじ引き」のようなもので、当たりが出るかハズレが出るかは、ひとえに運としかいえません。
それならばもう、たとえ合わないと感じても、無理やりにでもたくさん良いところを探してしまったほうが合理的ですし、子どもがなるべく学校や先生に好意的になれるように手伝うのが、親としても合理的かなと思うのです。