西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「美しい死について」。
* * *
【ポイント】
(1)どんな死に方でもよいというのも一理ある
(2)一方で「美しい死」という言葉に出会った
(3)患者さんには「美しい死」を迎えてほしい
仏教学者の鎌田茂雄先生に、虚室生白著の『猿法語』という本を教えてもらいました。虚室生白は江戸時代の医師だとしかわかっていないのですが、内容はなかなか深くて味わいがあります。「臨終要心の弁」という章があり、世間では、念仏を唱えながら息を引き取るものを大往生とほめるけど、本当にそうなのだろうかと問いかけています。
そして結論は、死ぬときは陰陰滅滅になろうと、泣き叫ぼうと、どんな死に方でもよいのだというのです。私はそれを読んで一理あると感じました。
一方で最近、「美しい死」という言葉に出会いました。本棚に埋もれていた『正念場』(中村雄二郎著、岩波新書)という本を先日何げなく手にしたら、その最終章のタイトルが「美しい死」だったのです。そこで中村先生は実の弟さんの死について書いています。彼は肺がんが脳転移した状態でしたが、病院での過剰な医療よりも自宅療養を選び、正月を家族と過ごして5日に亡くなります。
「なんとも見事だった。その上、絶対に過剰な高度医療は受けたくないという自分の信念と生き方を全うした<いい死>であり、<美しい死>であったと思う」(同書)
と中村先生は語ります。そして、この「美しい死」という言い方は、森亘日本医学会会長が日本医師会の創立50周年を記念して行った講演の表題であると明かすのです。
この講演には「品位ある医療の、一つの結末」というサブタイトルがついていて、全文が日本医師会雑誌(1997年11月15日号)に収録されています。森先生は、私の大学の大先輩ですが、その講演の格調の高さに感銘を受けました。