「ならぬことは、ならぬのです!」。凛々しい綾瀬はるかの声で幕を開けたNHK大河ドラマ「八重の桜」。“大河史上最低”の平均視聴率12. 0%(関東地区)だった前作「平清盛」から一転、1月6日放送の初回は視聴率21.4%(同)とまずまずの滑り出し。ドラマをもっと楽しむために、最新の見どころをご紹介しよう。

 会津藩の砲術師範・山本権八のもとに生まれた八重は、大柄でがっちりした体形だったという。性格も男勝りで鉄砲に強い関心を持っていた。

 初回は、そんな八重が1868年、鶴ヶ城に龍城し、新政府軍と戦う会津戦争の場面から始まった。まさに“幕末のジャンヌ・ダルク”といわれた八重の姿だ。男たちのなかで、綾瀬が細い腕で銃を構える姿にちょっと違和感を覚えるが、これは実話なのだという。

 同志社大学の創設者となる夫・新島襄の名を呼び捨てにするなど、当時としては先進的だった八重だが、夫思いでもあったと同志社社史資料センター調査員の小枝弘和氏は言う。「夫婦仲はとても良かったようです。戦争を知っている八重は気が強かったと思いますが、襄を精神的にもしっかり支えていた。対等で現代の夫婦関係に近かったのではないでしょうか」。

 1890年1月に襄が亡くなると、八重は日本赤十字社の正社員となり、日清戦争では広島の陸軍予備病院に篤志看護婦、今でいうボランティアの看護師に志願する。当時、八重は50代。さらに日露戦争でも、大阪の陸軍予備病院で篤志看護婦として働いた。幕末のジャンヌ・ダルクから“ナイチンゲール”となったのだ。

 そして初回から存在感を示していた西島秀俊演じる八重の兄・覚馬も目が離せない。『幕末のジャンヌ・ダルク新島八重』(新人物文庫)の著書がある歴史家の好川之範氏が言う。

「覚馬はインターナショナルな感覚にとみ、土方歳三や近藤勇とも非常に仲が良かった。坂本龍馬暗殺の夜、覚馬は近藤勇に会津の名刀を届けに行ったと言われています。また、覚馬と深くかかわる佐久間象山(奥田瑛二)は、現代で言えば、ノーベル賞の山中伸弥教授と司馬遼太郎を足したような知識人です」

週刊朝日 2013年1月25日号