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東京・表参道の美容サロンで、85歳のいまも毎日立ち働いている女性がいる。現役の企業経営者にして、日本最高齢のメイクアップアーティスト・小林照子さんだ。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、その後独立。現在も新しいことにどんどんチャレンジしつづける小林さんの著書『人生は、「手」で変わる』も好評だ。そんな小林さんが自身の半生を振り返り、仕事・人生と向き合う姿勢について語った。
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小林さんによるメイクの個人レッスンは約2時間。小林さんがまず行うのは、そのひとの現在の「印象分析」だ。この日小林さんの元を訪れたのは、60代の教育関係の仕事をしている女性。小林さんが独自のチャートを元に、その女性が第三者に与える印象を分析していく。
「第一印象は、知的でとてもクール。お仕事柄ご自身でも、そのイメージを大事にしていらしたと思います。でも、内面にある朗らかさや陽気さを抑え込んでいらした感じもお見受けします。もう少し、本来持っていらっしゃる明るさを演出するメイクに変えても、いいかもしれませんね」
スルスルッと女性のメイクを落とし、小林さんが「顔づくり」を始める。
「シミを隠そう、顔色が悪いのを隠そう、とそれ以外のところまでファンデーションを塗り過ぎることはないんです。隠す化粧だけではなく、自分が本来持っているものを生かす化粧に切り替えていきましょう」
小林さんの指の動きは、まさしく“魔法”だ。ツヤが出る下地クリームを女性の肌になじませてから、ファンデーションを薄く薄く肌に伸ばしていく。あっというまに先ほどまでの女性の肌とはまったく違う、自然な印象の肌が完成。そして頬に淡いピンクのパウダーチークをのせれば、お世辞抜きに第一印象に明るい人格がプラスされて魅力的に。
朗らかで、いつも笑顔を絶やさない小林さんだが、実はその人生の前半は波瀾に満ちていた。3歳のときに両親が離婚。初めは母親に引き取られ、その後父親に引き取られ。だが父親が6歳のときに病死。そこで父親の再婚相手の兄夫婦の養女になるが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で養父が経営していた防空資材の商店が全焼。その後、住まいも全焼し、何もかもなくした一家は終戦後、疎開先の山形県で暮らすことになる。