落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「学者」。
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先代の柳亭燕路師匠という方がいる。というか、いた。当代燕路(えんじ)師匠は七代目。由緒正しい古風ないい名前だ。
六代目は我々が「目白の師匠」と呼ぶ、落語家初の人間国宝・五代目柳家小さん師匠の高弟。わかりやすくいうと談志師匠の弟弟子で、小三治師匠の兄弟子。1934年生まれで91年にお亡くなりになっている。今、御存命なら86歳か。お元気でもおかしくない年齢だけに早逝が残念でならない。
落語家のなかでも『学者肌』で、演じるだけでなく落語研究家としても名を馳せた方らしい。二つ目の頃の高座写真を見ると、なるほど、ちょっと理屈っぽそうな面立ち。黒々とした髪を七三に分けていて、太い眉の二枚目。巨匠顔、文豪顔とでもいおうか。
幼い頃、図書館で『子ども寄席』というシリーズものの落語読み物を読んだことがある、という人、多いはず。落語の速記を子どもにもわかりやすく構成し、挿絵をはさんだもので、落語との出会いには一番だ。『子ども寄席』で落語にはまった……どころか落語家になってしまった人がいくらもいる。この本を作ったのが先代燕路師匠。落語の裾野を広げるという意味で多大な功績を残された。
小5のとき、「落語クラブ」に所属していた私。この『子ども寄席』の「弥次郎」をコピーしたものを顧問の先生に渡され、無理矢理あたまに詰め込んで、全校生徒1500人の前で披露させられた。思えばこれが人生の初高座か。なんとなくウケた気がする。これを機に人前でなにか表現することに興味をもった私。いわば先代燕路師匠がお稽古をつけてくれたようなものである。
史料の収集や落語史の研究の末に『落語家の歴史』『落語家の生活』などの著書も残されている。落語家の視点で書かれているので、職業学者の書いたものよりズッと読み易い。落語家になってから拝読。勉強になった。
どうも晩年は体調のために高座を遠ざかっていたようだ。