大塚篤司医師/1976年千葉県生まれ。2003年信州大学医学部卒業、12年チューリヒ大学病院客員研究員を経て17年から京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医、がん治療認定医(写真/倉田貴志)
大塚篤司医師/1976年千葉県生まれ。2003年信州大学医学部卒業、12年チューリヒ大学病院客員研究員を経て17年から京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医、がん治療認定医(写真/倉田貴志)

 アトピー性皮膚炎や皮膚がんの一種であるメラノーマが専門の、京都大学医学部特定准教授の大塚篤司皮膚科医。大塚先生は、SNSや書籍などで医療情報の発信もしている。現在発売中の『医学部に入る2021』では、大塚医師に取材をし、医師になった経緯や医師だからこそ言葉を大切にする理由を聞いた。

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■小児ぜんそくになり医師が身近に、幼少期から夢は「お医者さん」

 2歳で小児ぜんそくになり、頻繁に病院通いしていた幼少期から「医師」がとても身近な存在だったという。親戚や家族にも医師はいない環境ながら、物心がついた時には自然と将来の夢は「お医者さん」。

 その後、小学校高学年には「科学者」に、中高生になると本が好きになり、夢は「作家」へと変化した。成績優秀な学生だった大塚医師だったが高校時代に数学でつまずき、学校をさぼって喫茶店で本を読む日もあった。

「高校数学で虚数の概念が受け入れられず、拒絶反応が出てしまって。成績が落ちると、勉強へのモチベーションも下がり、学校をさぼって昼間から喫茶店でシナモントーストとアップルティーを頼んで、読書していたこともありましたね」
 
 高3のとき、そんな大塚医師に転機が訪れた。父が病気で入院し、初恋の人も病に倒れたのだ。また「病院」や「医師」が身近な存在となり、「医師になりたい」という幼少期の夢が再燃した。

「医学部を目指して高3からは一転、猛勉強をしました。でも結局、現役時代はセンター試験800点中300点という結果に終わりました」
 
 浪人し、苦手だった数学の克服に成功した。決め手になったのは、受験指導でも有名な精神科医の和田秀樹氏の勉強法を取り入れたこと。

「和田先生の勉強法は、同じ問題パターンを何度も解いて丸ごと覚えてしまう丸暗記法。1浪目は予備校でも英単語5千語と数学の基本問題を暗記させられてテンプレートを覚えたので、センター試験も800点中680点まで得点が伸びました」
 

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志望校に特化した勉強をするのが効率的