熊が火傷(やけど)したような顔は、医者の言の通り、日と共に色が薄れ、本来の自分の顔が少しずつあらわれました。それでも二週間近くたっても、まだ腐ったじゃがいも顔はそのままです。ひそかに韓国へ行って、整形手術するつもりでしたが、後一年も生きるかどうかわからないのに、そんな散財は阿呆(あほ)らしいと思う正常心がかえってきて、今はどうやら落ち着いています。
ヨコオさん、人間は外見より「心」ですよね! 心が美しければ、いい絵も、いい小説も表れますよね。なんとか早く治すクスリがないものかなあ!! せめて、生まれたての愛らしいじゃがいもくらいになりたいものです。
でも、もう転ぶにも飽きました。あとはせいぜいしとやかに行動して、転ばないようにしたいものです。
宇野千代さんの死に顔の美しさを想(おも)い出します。やはり死に顔まで美しくありたいものです。よく心が美しければ死に顔も美しいといいますが、そうでもない例もよく見ますよ。
やはり死ぬ瞬間、自分の最も好きな衣装を身に着け、最も好きな食べ物を食べているのが幸せの絶頂でしょうか。宇野さんの死に顔もそんな豊かな美しさでしたよ。死に顔は自分で見ることが出来ないだけ神秘的ですね。
ヨコオさんは、たくさん肖像画を描いてらっしゃいますが、死に顔は誰を描かれましたか?
もし、まだだったら、ぜひ私を描いてください。じゃがいもの腐ったものでもいいです。
では、また。
今、お医者さんが来られて来週退院していいと告げられました。万歳!!
※週刊朝日 2020年11月20日号