セトウチさんの顔の青赤黒色の腫れは、岡山の湯原で、僕の背中にセトウチさんがインチキ尼さんに騙(だま)されて買った膏薬(こうやく)を張られた時、そこが半年以上青赤黒色に変色したその膏薬の祟りが、セトウチさんの顔面に移植したのです。やっぱり祟りは、前近代から今日のIT時代まで、祟り続けているのです。あゝ、怖。

 あゝ、そうだ、芸術は内面の不透明さを描くことによって解消、浄化されます。もし早く青赤黒色を消滅させたいと思われるなら、今の内に、今の顔を肖像画として描いて下さい。でなきゃ、死ぬまでその顔です。僕みたいに病院に画材を持ち込んで、明日からでも自画像を描いて下さい。医者の薬より、絵の方がよく効きます。ピカソのキュビズムやムンクの「叫び」以上の絵が描けます。顔は元の美人になるわ、芸術作品ができるわで一挙両得です。すぐ始めましょう。普通、絵は多少デフォルメして描きます。だけど今回のセトウチさんの顔は、すでにデフォルメされているので、そのまま写実的に描くだけでデフォルメの手がはぶけて、フランシス・ベーコンのような絵が描けます。ぜひ、自画像に挑戦してみて下さい。

■瀬戸内寂聴「万歳!! 退院が決まりました」

 ヨコオさん

 久しぶりに、こう書くと、なつかしさで全身が熱くなってきました。私は病院に入院して、前回同様、今もまだ病室でこれを書いています。

 二週間前、寂庵の廊下の隅で思いきり転んで、気がついたら、頭から、廊下にぶつけていて、一瞬、気絶していました。いつでも転ぶ時は頭から床や土にぶっつける癖があるのです。その度、顔を正面から、石や土や、枝にぶっつけて大けがをします。幸い鼻が低いので、おでこと両頬にけがをして、今迄(まで)なんとか保ってきました。目が無事なのが不思議なことです。他の病気でよく入院する病院では看護師さんたちが、まさか私とは気づかず、気の毒そうにストレッチャーの私の顔を見ていました。私は腫れあがった顔の中で薄目を開け、彼女たちの怖そうな顔を見て、自分の顔のひどさを想像していました。実際に鏡を見たときはあまりのひどさに悲鳴をあげ、またそこに転びそうになりました。写真を見たヨコオさんは、その顔を、腐ったじゃがいもだと評されましたが、そんな可愛らしいものではなく、私が思い出すと、ボクシングで思いきり殴られたパンダの様でした。とても元の顔に戻りそうにないと思い、暗澹(あんたん)としました。九十八にもなって、もうすぐ死ぬ間際にこんな傷を受けるとは、よほど私は因果な生まれつきだと思います。足も傷んでいたので、すぐ入院して、面会謝絶にしました。このまま死ねば、編集者も読者も私のこの妖怪の顔は見ずに済むのです。早く殺して! と叫びたくて、私はもだえつづけました。

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