テレビの台頭を直接的要因として、1970年代以降、映画産業の斜陽化に拍車がかかり、浪花千栄子の活躍の場もテレビに移るが、関西地区で最高視聴率38%を記録した人気ドラマ『細うで繁盛期』に主人公の祖母役で出演するなど、晩年まで仕事には恵まれた。
亡くなる2日前の夕方、「しんどい」と言って横になり、京都嵐山の自宅で静かに息を引き取った。浪花をよく知る人物として、元夫の渋谷天外は各紙の取材を受けており、朝日新聞の追悼記事には、「芸人が死ぬときは、いつもはかないものです。あの人は、自分の芸を大切にして人にあげようとしませんでしたが、とうとうその芸も過去の世界へ行ってしまった」とコメントを寄せ、余人をもって替えがたい演技を惜しみつつ、その人生を儚んだ。
幼少期のつらい体験と、女優として歩きはじめた頃の平坦ではない道のり、20年の歳月とともにはぐくんだ家庭と劇団に追いやられた絶望の淵から、自分の力、女優としての「演技」だけで這い上がり、名助演女優と称賛された浪花千栄子。
「芸」だけが彼女を裏切らず、だれも彼女から奪い去ることができないものだった。天外はその「芸」が肉体の死とともに「過去の世界へ行ってしまった」と審判を下しているが、果たしてそうだろうか。約半世紀を経てもなお、不朽の名作映画の中で唯一無二の存在感を放ち、忘れられない女優として生き続けている。そして、喜びよりも悲しみに翻弄されたその人生までもが、いまあらためて関心を集めていることには、浪花千栄子本人も驚いているのではなかろうか。(文/上方芸能研究者・古川綾子)