半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「初耳のスキャンダル、お伝えしましょう」
セトウチさん
三島(由紀夫)さん没後50年で新聞、雑誌、テレビ、映画、単行本、写真集とメディアは総動員で三島特集で血湧き肉躍っています。今日はセトウチさんに初耳のちょいスキャンダラスなお話をしましょう。
実は三島さんが自決前に企画していた幻の写真集「男の死」がアメリカと日本で出版されたのです。この写真集は篠山紀信さんが三島さんから依頼されて撮ったものですが、あくまでも三島主導の演出で暴走しています。写真は確かに篠山さんがシャッターを切ったものに違いないのですが、どこか納得いかない違和感が残ります。その違和感というのは、篠山さんの主体が見当たらないからです。逆にそこがこの写真の魅力でもあるのですが、ここで篠山さんは徹底的に職人になりきっているということです。篠山写真の魅力は、彼の没我的表現ですが、この一連の写真に至っては、篠山さんは自分を完全に滅却しています。ここではまるで三島劇場の座付き写真家に成りきっています。他力を捨てて自力に徹するという現代写真の逆を実践しています。この写真集に対する篠山さんのコメントは語られていません。その無言こそが篠山さんの主張でもあるのです。
さて、この「男の死」の成立過程に少し触れておきます。実はこの写真集には三島さん以外にもうひとりの出演者がいたのです。三島さんは「楯の会」の森田必勝君を道づれにして現実に死にました。そして三島さんは、さらにもうひとつフィクションの死を演出しようとしたのです。そのフィクションの相手役というのが、実は僕だったのです。三島さんと横尾が写真集の見開き対ページで「男の死」を演じることを計画したのです。森田という現実の心中相手に対してフィクションのもうひとりの相手に僕を名指ししたのです。つまり二人の虚実の死によって、三島さんは肉体による最後の芸術行為を完結するべく計画を立てていたのです。ところがこの計画は未遂に終(おわ)りました。さっさと自分の死の光景を篠山さんに撮らせ、その同じカメラで僕の演じる死を撮る予定だったのですが、当時僕の入院生活が長引いたために、三島さんの生前中に僕の写真が撮れなかったのです。