そして、こう続ける。

日本ハムという球団はそれだけの覚悟をして新庄氏に賭けていたのです。資金面に乏しく、スタッフ数が少ない独立リーグが同じように彼を扱えるかというと、まず不可能でしょう。『来てください』という考えだけでは通用しません」

 今のコロナ禍では来季も入場者数の制限が予想され、球団は球場を満員にしたくてもできない。この状況では、集客面、営業面での「新庄効果」も日本ハム時代のようには見込めないという。

「そうした野球の能力以外の面も考慮した結果、投資するに値しないと、NPB球団が獲得に二の足を踏んだのは間違いないこと。独立リーグの球団がそのあたりまでしっかり考えているかも、疑問が残ります」(同) 

 新庄氏が日本ハム在籍当時、パ・リーグ担当だった全国紙記者も厳しい視線を送る。

「新庄氏には球界では異例の専属広報が付き、球団担当記者であっても取材は『禁止』でした。他球団ではあり得ないことです。試合後に一言だけでもコメントを取ろうと近寄ると、専属広報がさっと立ちはだかり追い返されてしまう。そのくらい新庄氏は特別扱いだったのです。独立リーグの球団がそうした体制を作れるとは思えませんし、逆に、他の選手と同様に、新庄氏が記者の取材に応じている姿も想像つきません」

 とはいえ、新庄氏は2000年、阪神の「5年12億円」ともささやかれたオファーを蹴って、米大リーグ・ニューヨークメッツに移籍した。年俸は当時の大リーグ選手最低保証額の2200万円で、阪神よりはるかに少ない契約を受け入れて渡米を決断したことに日本中が驚いた。

 前代未聞の行動を起こしてきた新庄氏だけに、「常識外」の選択をする可能性も否定はできない。 

 21日のテレビ朝日・報道ステーションでは松岡修造氏との対談が放送され、「常に人生に逆境が欲しい」とも語っていた。

 新庄氏の反応に注目が集まる。(AERAdot.編集部)