2012年ロンドンオリンピックで『フジカキ』(藤井瑞希・垣岩令佳)ペアがオリンピック史上初のメダル(銀)を獲得したとき。高橋は迷いひとつなく真っ先に「次は自分たちが金メダルを獲る」と思ったという。

「獲りたいとか、獲れるとか、そういう感覚ではなく『獲る』。そう思ってすべての時間をバドミントンに全力で費やしてきました。どんなに疲れていても練習で手を抜くこともないし、自分たちの都合で休んだこともない。自分たちはそれが当たり前だと思ってやってきました。強くなってくるとそれをやらなくなり、わがままを言う選手もいます。もちろん自分のコンディション管理は大切ですけど、強いからといって何をしていいというわけではない。特別扱いされるとそこに甘えも出てくると思うし。私自身は他人に迷惑をかけない、助けてもらわないという気持ちで練習に取り組んできました」

 当たり前の積み重ね。まさにそれが金メダル獲得への信念だった。そう信じてやまずに突き進んできのたは、父親の言葉が背中を押してくれたからだ。

「昔からとくに憧れたり、影響を受けたりしたプレーヤーはいないんですけど、唯一座右の銘にしてきたのは、『試合では自分が一番強いと思ってやりなさい。練習では一番下手だと思ってやりなさい」という父の言葉でした。本当にそのとおりだと思います。試合では負けたらどうしようという気持ちでは勝てないし、練習中ライバルは自分よりたくさん練習しているかもしれない。自分たちはこれだけ練習してきたから、試合でも大丈夫だと思えました」

 約13年間ペアを組んだ松友とのダブルスにおいても、コートの中でどっしり動じない雰囲気を漂わせ精神的支柱だった高橋。ネット型の対人競技であるバドミントンは、相手の心理を読んで駆け引きしながら、パートナーとも心技体をぴたりと合わせていかないと戦えないスポーツだ。「松友だからこそ勝てる」とパートナーを尊重してきた自身の想いと表裏一体で存在していたのは、自らの個のチカラを自立させることだった。

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