人柄も真っすぐで素晴らしい方だった。野球スタイル同様に一直線で自分の道を貫いた。そんな4番打者だった。
南海入団時に選手兼任監督を務めていた野村さんにはコンパクトな打撃を求められたが、フルスイングにこだわった。南海ヘッドコーチのドン・ブレイザーさんが相手チームのサインを見破るなどしていた時、門田さんはものすごく嫌がっていた。自分の感性、狙いというものを信じて打席に立っていたということだ。ウェートトレーニングなどが入り始めたころだったが、自分で体を鍛え上げた。
一方でヘッドが走りやすくなるように、バットの先端をくりぬくなどの工夫をしていた。今でこそ、バットの先端をくりぬくことは当たり前になったが、当時から繊細な感覚があった。力強さと繊細さ、頭の良さを絶妙なバランスで持っていたように思う。
170センチの小さな体で、高校時代は本塁打もなかった門田さんが、プロの世界で40代で133本塁打も放った。努力を続け、本当のプロフェッショナルとは何かを体現した野球人。本当に残念でならないし、心から冥福を祈りたい。
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
※週刊朝日 2023年2月10日号