西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修さんは、40歳で本塁打と打点の2冠王に輝き「不惑の2冠王」と呼ばれた門田博光さんを偲ぶ。
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南海、オリックス、ダイエーでプロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光(かどたひろみつ)さんの訃報が飛び込んできた。74歳という若さだった。現役時代から持病の糖尿病や、引退後の2005年に脳梗塞で倒れるなど、晩年は闘病生活となったが、現役時代には本当に多くの対戦をさせてもらった。
3球団で放った567本塁打は、王貞治さんの868本、野村克也さんの657本に続く偉業だ。1988年は40歳で本塁打と打点の2冠王に輝き「不惑の2冠王」と呼ばれ、パ・リーグMVPといずれも歴代最年長で受賞した。
私が68年、門田さんは69年のドラフトで入団と私のほうが早かったが、年でいえば、門田さんが3学年上だった。
本当に良きライバルだった。全打席「ホームランを狙う」というフルスイングで左打席から豪快なアーチをかけた。同じパ・リーグで、私と門田さんの対戦は通算336打席。現役時代に最も多く対戦した投手は私だったという。
結果は299打数91安打、打率3割4厘で15本塁打とよく打たれた。門田さんとの対戦はものすごく神経を使ったことを覚えている。ストライクゾーンにまともにいったら打たれる。私はわざとカウント3ボールにしたことがよくある。3ボールからはまず打ってこない。3ボール1ストライクとしてからが勝負だった。門田さんは狙い球を決めたら一本やりでくる。ただ、その日の私の調子などを見て、コースを絞ったり、球種を絞ったりしていた。だから毎打席違う勝負になる。こちらは何とかしてその狙いを察知して外す。その繰り返し、まさに神経戦だった。走者がいない場面なら、焦ってボール球に手を出してくれれば、ゴロになれば、と考えていた。門田さんはそんなに足は速くなかった。