昭和初期は、栄養に関する記事を連載。血液が酸化することを「酸過多症(あるいは酸毒症)」とし、予防法を紹介している。酸化はいつの時代も体によくないのだ。

 40年代半ば以降は、様相が一変する。

「戦時中は、健康な兵士と国民を作る政策が展開され、総力戦を担うための健康づくりが強調されました」(三原さん)

 例えば、42年の記事「勝ち抜く為に生活の切下げ」では、「大東亜戦争による大増税」のために生活の切り下げをする術について専門家が語り合う座談会を掲載。「食物の不足で却(かえ)って健康の向上」と、食糧不足を問題とせず、肯定する見出しを掲げた。

「戦後は、食糧難による低栄養を解消することに必死で、健康、若返りどころではなかったでしょう。47年には、一人の裁判官が闇米を拒否し、国の配給する食べものだけを取り続けた結果、栄養が足りず餓死したという事件もありました」(同)

 再び健康が注目され始めるのは、朝鮮動乱が起き、日本が軍需景気に沸く50年代になってからだ。

 51年には医師のコラムで「やせ方・肥り方」を指南。今でもはやっている「プチ断食(週に1度、日を決めて断食)」や、納豆による「腸活(腸内細菌をコントロールする)」などが採り上げられている。納豆は消化がよい割にカロリーが高く、太るためのお薦め食材、というところが興味深い。

 若返り法はより過激になって復活。52年の記事「ホルモン美容法」には、牛の脳下垂体の一部やホルモンの結晶を圧縮した錠剤をお尻などに埋め込む施術を採り上げた。俳優や女優もこぞって治療を受けていたようだ。

「皮膚に潤いが出て、身長が伸びた」「疲れがなくなった」といった女性の声のほか、

「精力の調子が良く、この前も年甲斐もなく~」

 という65歳男性の声を紹介している。

「50年代半ば以降の高度経済成長期になると、日本のライフスタイルにも変化が出てきました。俗に言う“欧米化”です。51年には死因順位の第1位が、結核から脳血管疾患に変わりました」

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