当時、「ジーザス~」の日本での上演権は、四季が持っていた。劇団の芸術総監督を務めた浅利慶太さん(故人・2018年没)は、若い頃はフランス文学をこよなく愛し、四季が商業ミュージカルで成功を収める傍ら、世界の傑作戯曲の日本での上演権を獲得していた。
「でも、いざ劇団四季に入ってみたら、いい意味でも悪い意味でも、ものすごく守られていたんです。変な影響を受けてはいけないと、外の芝居を見るなとも言われていたし。外の世界は怖いし、辞めたところで食ってはいけないだろうから、劇団で頑張ろうと思っていました」
あるとき、八重山諸島にある小浜島で「ジョン万次郎の夢」という舞台を上演したあと、子供たちと交流する機会があった。子供たちに「皆さんの夢は何ですか?」と聞くと、そこにいた全員が次々に手を挙げ、「パティシエ!」「船長さん!」とそれぞれの夢を叫んだ。
「そうしたら、子供たちからも、『お兄さん、お姉さんたちの夢は何ですか?』と聞かれて、全キャストがそこで固まってしまったんです」
「何だろう、俺の夢って?」と、ずっと蓋をしていた情熱が燻り出た。
「そういうモヤモヤした状態で稽古をしていると、浅利慶太さんは勘が鋭い人なので、人の心の状態を見透かすんですよ。ミスをしたわけじゃないのに、いろいろ注意されて、昔の自分なら『すみません』って謝ったところを、この日は反抗して、喧嘩になってしまったんです」
その日のうちに、浅利さんの部屋を訪ね、「辞めます」と言って土下座をし、吉原さんは劇団四季を去った。
「先生(浅利さん)から何回か食事に誘われて、『戻ってこないか』と言われたこともありました。二人で食事をしているときは、みんなに恐れられている“演出家・浅利慶太”ではなくて、すごくざっくばらんに演劇について語ったりして、『先生は本当に演劇が好きなんだなぁ』と。最後は、『戻るときは、一生骨を埋める覚悟で戻ります。もう少し、外の世界で勉強させてください』と伝えたんですが、うまく言える自信がなくて、事前にトイレで練習しました(笑)」
(菊地陽子 構成/長沢明)
吉原光夫(よしはら・みつお)/1978年生まれ。東京都出身。劇団四季「ライオンキング」などの作品で主要キャストとして活躍。2007年に退団。09年「Artist Company 響人(ひびきびと)」を立ち上げる。11年、「レ・ミゼラブル」では日本公演歴代最年少の32歳で主役のジャン・バルジャンを演じる。舞台を主軸に活動しながら、20年NHK連続テレビ小説「エール」の岩城役で、お茶の間からも注目された。
>>【後編/朝ドラ「エール」の吉原光夫 憧れの人は意外にも“宮崎駿”】へ続く
※週刊朝日 2021年3月12日号より抜粋