三島さんは、自分は天才だと信じているのに、四十過ぎても一向に死にそうにないので、焦って、あんな死に方をしてしまったのです。

 ヨコオさんは、天才だと私は信じていますが、年中、病気ばかりして、よく入院していますが、必ず治って出てきます。

 第一、入院中も病室で絵を描いたりしています。そんなこと出来るホントの病人なんている筈(はず)ありません。それなのに、今や世界じゅうでヨコオさんは天才で通っています。不思議な存在ですね。

 三つや四つの頃から絵が上手だったのは、現在残っているその頃のヨコオさんの絵を見てもうなずけます。

 ヨコオさんが赤ちゃんの時、さっさと養子に出してしまった実の御両親がご生存だったら、まあ、どんな気持ちでしょうね。

 ところで私は、何という縁か、ヨコオさんの実の御家族に逢(あ)っているのですよ。この話はたしかヨコオさんにした筈だけれど、ヨコオさんは、呆(あき)れたような顔で横目で私を見て、「何という大バカなのだろう。このオンナ!」という顔をして、返事もしませんでした。

 所は神戸のデパートです。頃は、私の女子大生の時代です。当時、私は大学の休みは、せっせと、徳島の実家へ帰って、休みの終わりには、四国の徳島から、舟や汽車で神戸へ出て、そこから急行列車で一直線に東京の女子大の寮へ帰っていました。

 神戸は、何となくしゃれた町で、デパートなども結構ハイカラな物があり、私は服や靴をそこでよく仕入れていました。

 その日もそうして、神戸のデパートをブラブラしていると、一階のどこかで、人だかりがしていて、覗(のぞ)くと、誰かの絵の展覧会で、若い絵描きさんが、自分の絵の前に立って、集まっている見物に、何か説明していました。人ごみの背後で覗いていると、私の前にいた家族らしい数人で、ひそひそ話をしていました。

「うまくなったねえ!」「いいじゃない、この絵なんて」「個性的だよ、ホンモノだよ!」

 私は、とたんに、その人たちが、あなたの実の家族だと察し、秘(ひそ)かにその出会いに興奮していました。あなたの実の家族に逢うなんて……彼等(かれら)は見るからに裕福そうなインテリ家族に見えました。夢ではありません。大方八十年前の出来事です。それでも、私の夢だとおっしゃいますか? 私の造りものの小説でもありませんよ。たしかこの話、ヨコオさんにした筈だけれど、相手にもされなかった。今でも私は、なつかしくその光景を抱いています。では、またね。春らしくなりました。

週刊朝日  2021年3月12日号