半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「孫の説教『ジャカマシイ!』と無視を」
セトウチさん
前回の手紙で「呆(ぼ)けた」ご自分を想定して上手(うま)いこと逃げちゃいましたが、僕はセトウチさんのこと、おっしゃるような「呆けたバアさん」なんて一度も思ったことはありません。本当に呆けてたら小説など書けません。
セトウチさんの今の関心事はやはり「百歳」ですかね。色んなメディアで「百歳宣言」をしてはしゃいでおられるようにみえるのですが、もし呆けたと思われた時に百歳のせいにしたいのか、それとも百歳が嬉(うれ)しいからか、それとも怖いからか。そのへんがよくわかりませんが、仏教のどっちでもあって、どっちでもないみたいな中庸の精神ですかね。中庸というのはある意味で偏らない理想的な生き方ですよね。偏らない生き方は、僕の作品の態度にしたいところです。まなほ姉妹とセトウチさんの「だって、百だものね!」という合言葉は相手を寄せつけない妙なパワーがありますね。
では僕の今の関心事を述べます。「百歳」という時間的なものではなく、以前にも二度ばかり、ぼやきましたが、絵を描くのが面倒臭くてねえ。三歳ぐらいからほぼ毎日のように絵を描き続けると、描くのが嫌になります。その点、セトウチさんは飽きませんね。やっぱり書くのが面白くて愉(たの)しいからですかね。アスリートは「体力の限界!」なんて言って引退ができますが、僕の場合アスリートと違って描こうと思えば、その体力の限界内で描いておればいいんですが、体力というより、描くことに飽きたんですよね。