もちろん、今回のアルバムからはギター、ピアノ、サックス、ベース、ドラムなども聞こえてくる。だが、いつもの仲間のミュージシャンたちが折坂の歌を支えるかのようにさりげなくサポート。グルーヴさえ感じさせたアルバム「平成」の時のようなアグレッシブさは後退しているものの、逆にあくまで曲と歌を彩るための演奏、それも楽器の特性をちゃんと生かした演奏になっているのがいい。弾き語りでもステージに立てる(独奏)、馴染みのメンバーとバンド編成でライブもできる(合奏)、エリアを超えた仲間と集中してプレーする(重奏)――と、自身のパフォーマンスをいくつかのバリエーションで聴かせる折坂だが、もしかすると今の折坂は、歌にそっと寄り添うことをテーマにしているのかもしれない。
ただ、音楽的なポイントもしっかりある。ほとんどの曲に入っているストリングス。折坂の声の前に出過ぎることのない、弦楽器のノスタルジックな音色とフレーズは大きな聴きどころだ。曲によってストリングスのアレンジは異なるが、バイオリン、ビオラ、チェロを1人でこなす波多野敦子の存在は特に大きい。ドラマの劇中では主人公・朝顔の娘の名前でもある「つぐみ」をタイトルにつけた「鶫(つぐみ)」などは、決して突飛なことをやっているわけではなく、むしろ折坂にしては珍しいオーソドックスなシンガー・ソングライター作品だが、それが却って、素朴にいい歌と演奏がいかに尊いかを教えてくれる。「のこされた者のワルツ」に至っては歌のないインストだが、波多野によるバイオリンとチェロ、あだち麗三郎によるテナー・サックス、そして折坂自身のギターとシンセというアンサンブルが、歌の気配をちゃんと創出している。
この作品を聴くと、折坂悠太というアーティストの本質的な魅力を思い知る。自分自身であることに誇りを持つ一方、自分以外の誰かを支えたり、逆に助けを求めたりすることも全く厭わない包容力。だから、折坂悠太は“個”が試される時代でもエゴイスティックになることなく、他者と手を貸し合いながら、それでいて時代に巻き込まれることもなく、確固たる足跡を刻んでいる。
そうしたことは「監察医 朝顔」というドラマのテーマにも当てはまるだろう。東日本大震災で母親が行方不となったままの若き法医学者の朝顔は、仕事に忠実で懸命で、家族愛に溢れた献身的な女性だ。そんな朝顔に寄り添うように鳴り響く「ここに願う、願う、願う」という「朝顔」という曲のリフレインは、折坂悠太自身にも向けられているのではないだろうか。「歌は願いである」とでもいうような折坂の信念にも寄り添っているのである。(文/岡村詩野)
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