SNS上では「単に批判を恐れる事なかれ主義」「過剰反応だ」「誕生日や結婚記念日の人はどうすれば」などの声が上がった。
息子が戸塚区の小学校に通う40代の男性会社員も表情は複雑だ。
「当時まだ幼くて記憶がなかったり、自分の子のように生まれてもいなかった子供たちに震災を伝えていくことが大切なのであって、お祝い事をしてはいけないとは思わない」
中区の小学校に息子が通う主婦も「よくがんばったね、っていう気持ちで出される給食のたった一品にまで自粛が必要なのか」と疑問を口にした。
実はこの5年前にも、埼玉県吉川市の中学校で同様の事例があった。同市は毎年、その年度の給食提供の最終日に、「卒業お祝い献立」として赤飯などを提供していたが、2016年は3月11日と重なった。一部の教職員から「非常識」といった声が挙がったことを受け、市は提供予定だった赤飯など出すかどうかを検討したが、結局そのまま提供する判断をした。
今回の横浜市の判断に対して、当の被災者はどう受け止めているのか。
岩手県大槌町の「小川旅館」の女将・小川京子さん(60)は、「いろんな意見はあると思いますが、少なくとも私は、お祝い事をすることに不快な思いはまったくしないです」と語る。津波と火災に見舞われ、旅館は鉄骨だけの姿と化した。被災から10年がたった今も、元の場所に戻れず、仮設での営業を続ける。
「私たちにとって3月11日は特別な日なので、お祝い事はしませんが、他の地域のお子さんが卒業や誕生日を祝うことは全然構わないと思います。何でも自粛となったら、むしろ子どもたちがかわいそう。コロナ禍で満足に卒業式ができない状況なので、ささやかなお祝いぐらいはしてあげてほしいと思います」(小川さん)
宮城県女川町で40台のトレーラーハウスを集めた宿泊村「Elfaro(エルファロ)」を営む佐々木里子さん(52)は10年前、両親と経営していた「奈々美や旅館」が津波で流された。77歳の父と、74歳の母を失った。その後は被災で運営困難になった4つの旅館の旅館主たちが協同組合を設立し、宿泊村で旅館業を再開している。