――治療が始まってからはどうでしたか?

 当初、大学病院の先生は躁うつ病(双極性障害)の可能性を考えていたようです。統合失調症なのか、うつ病なのか、躁うつ病なのか、判断が難しかったのだと思います。統合失調症だとはっきりわかったのは、20歳くらいだったかな。それまでは治療もうまくいかなかったですね。

 発症当時、中学受験をして入学した私立の中高一貫校に電車通学をしていましたが、中学3年の1年間はほとんど通えなくて、勉強にもついていけなくなりました。なんとか中学は卒業できましたが、そのまま高校に内部進学して通い続けるのは難しかった。母がいろいろ考えて調べてくれて、近所の定時制高校に通うことにしました。

――最初に榛澤さんの異変に気づいて受診を勧めたのは、お母様だったのですね。

 はい。母は「無理に学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれて、すごく救われました。あのとき、「せっかく中学受験して入れたんだから、学校行きなさい!」みたいにお尻をたたかれるような言葉を投げかけられていたら、いたたまれなかったと思います。いつも病院についてきてくれて、ありがたかったですね。

 父は最初は「急におかしくなってどうしたんだ」と驚いていましたが、学校を休んでいる僕を気分転換に外に連れ出してくれたり、優しかった。父にしてみれば将来こうなってほしいとかいろいろ希望はあったんでしょうけれど、直接言われることはありませんでした。両親も姉も祖母も、家族はずっと支えてくれました。

――中学の先生やお友だちの反応はどうでしたか?

 中学の先生は、今までとは違う僕の様子に「榛澤君、どうしたんだろう」と、ポカンとしたような印象でした。当時は先生も精神疾患についてそれほど知識がなかったでしょうし、母も具合が悪いことは伝えていたけれど精神疾患だとまでは伝えていなかったんじゃないかな。

 学校を休んでいる僕を心配して担任の先生が自宅に様子を聞きに来てくれたことがありましたが、あいさつだけして自室に引っ込みました。変なプライドというか、自分がダメになってしまったという思いもあって、先生に合わせる顔がなかった。学校関係の人にはあまり会いたくなかったんですよね。

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