橋田さんが松竹を辞めてテレビの脚本を書き始めたのは35歳の頃だった。

「最初はひたすらシナリオを書いては持ち込みでした。原稿を赤いリボンで綴じ、赤いやつを読んでと頼んで歩いた。そんな時に声をかけてくれたのがTBSのプロデューサーだった石井ふく子さんだった。『袋を渡せば』というホームドラマを書いて使ってもらった」

「テレビの歴史とほぼ同じだけ、この世界に身を置いてきた。仕事が楽しくて仕方なかった。人生目いっぱい生きた感じがします」

 橋田さんは「健康じゃないと力のある脚本は書けない」ともよく言っていた。水泳が体にいいと聞いて50歳から競泳の木原光知子さんに教えてもらって毎朝800メートル泳ぐのを日課にしていた。通い続けた自宅近くのホテルのプールがなくなって、水泳ができなくなってからはジムで週に何回かトレーニングをしていたという。

 ただ、90歳を過ぎてから体力の衰えは感じていた。定期健診で行った病院の玄関前で転んで大ケガをしたのは91歳の時だ。

「顔面を強く打って手術が必要なほど。左の眉の上のおでこのところは神経も取った。元気そうに見えても確実に老いは迫ってきます。大事なのはそれを自覚すること」

 橋田さんには秋篠宮紀子さまのご結婚など皇室の行事についても事あるごとに原稿依頼やインタビューをさせていただいた。橋田さんから届く手紙や原稿はすべて美しいペン字。年をとられてからも丁寧な文字に乱れはなかった。平成から令和に変わる3年前の天皇陛下(現在は上皇陛下)のビデオメッセージについても話を聞いた。

「今回のビデオメッセージを見て、ゆっくりと語りかけるように原稿を読まれた天皇陛下に、あらためて親近感を感じた国民も多いと思います。私には、すぐ目の前においでになるような感じさえしました。陛下は映像をうまく取り入れられました。『テレビ時代の天皇陛下』と感じました。いま論議が始まった『生前退位』など制度上の難しい問題は私にはわかりません。ただ、陛下には『公』の世界ばかりで自由がほとんどないということはよくわかります。お疲れになると思います。毎年、年を取られるわけですから、これからはもっと両陛下二人だけの『私』の時間をできるだけ多く持たれるようになればいいのにと思いました」

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