橋田壽賀子さんは週刊朝日で何度も対談や原稿を書いてくださった。長く取材した元本誌編集委員が本誌での語録をたどりながら橋田さんを偲んだ。
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橋田さんの自宅はJR熱海駅から曲がりくねった急道をタクシーで25分ほどの別荘地にある。取材に行くことを電話で伝えると橋田さんは必ず、
「熱海駅で○○タクシーに乗って『橋田の家まで』と伝えて。知らない運転手さんだと道に迷っちゃうから」
目の前には網代湾が広がって初島はもちろん房総半島や三浦半島まで眺めることができる標高400メートルの場所だ。橋田さんは言っていた。
「自然豊かで鳥のさえずりが聞こえ静かで居心地がいい。タヌキや猪が姿を見せることもあるのよ」
道路を隔てたすぐそばにゲストハウスがある。脚本を書く時は居間にあるテーブルだ。
「『おしん』も『渡る世間は鬼ばかり』もすべてここで書いたわね」
30年以上お付き合いさせていただいたぼくも熱海には10回は通った。
橋田さんはどんなことにも興味を持った。タモリの「笑っていいとも!」の月曜日レギュラーをしていた時は自宅の熱海と東京を新幹線で往復した。この時は、
「ばかなことをしているとストレス発散ができていいのよ」と笑っていた。世界一の金持ちと言われたブルネイの国王に会いに行って本誌に訪問記を書いていただいたこともある。
新聞の投稿欄やNHKの「クローズアップ現代」のようなドキュメンタリーなども参考にして脚本作りに生かしていた。「渡る世間は鬼ばかり」が12年目に入るころに聞くと、
「何が受けているのか私にはわからないんです。しいていえば視聴者と目線が同じ所にあることなのかしら。視聴者のかわりに言いたい言葉を役者にセリフで言わせている。『あんなこと言うわけがないけど、言えたらスーッとするだろうな』というセリフを家族に向き合って言い合わせてしまう。喧嘩ドラマですよ。喧嘩ドラマほど書いていておもしろいものはない。書きながらストレスを自分で解消しているようなものですからね」