「九二年の春ですが、村西さんは朝帰りをしまして、そのとき私はバスタブにつかっておりましたが、“すぐにそこから出るように”と言われました。私が出ますと、やにわに突き飛ばされまして、あの方は大変、力が強いものですから、私は五メートルほどふきとんでしまい、それでも足りなくて殴る、蹴る」(『旬の自画像』文藝春秋)
借金に追われ、金策にかけまわっているのに、悠長に風呂に入るなと激高された上での暴力だった。疲れ果て家を出てから8年ぶりに両親のもとに戻ろうとするも好奇の目が寄せられとどまることができなかった。人間関係も居場所を失い安宿を転々とする中での転落事故だった。
その後、黒木さんのことをメディアで見ることはなかった。それはきっと黒木さん自身が望んだことでもあるのだろう。2000年代に黒木さんは、勝手に黒木さんの現在を報じたメディアを訴え裁判を起こした。「忘れられる」ことを黒木さんは、社会に求めたのだ。
Netflixが「全裸監督」を配信したことで、一番利益を得たのは間違いなく村西とおる氏ご本人だろう。忘れられかけていた過去の人が、「当時」を知らない若者にも名を知られるようになった。私の知人が黒木香さんが出演していたAVを、「全裸監督」を機会に購入したと言っていたが、当時の作品を求める人は少なくなかっただろう。もちろんこれは村西監督や販売会社の利益にはなるが、出演者にはお金は入らない。そして今、本当に気の毒なのは、村西監督が注目されることで、当時AV作品に出ていた女性たちが改めて「社会にひきずり出される」恐怖を味わっている現実だ。
私はAV出演被害者の声を聞くことがあるが、1980年代や1990年代にAVに出演した女性の声は決して少数派ではない。本人はとっくに違う人生を歩んでいるのに、過去が追いかけてくる。忘れたくても、社会が忘れさせない。AVを当たり前のように永遠に楽しめると思っている社会が、ずっと追いかけてくるのだ。