この日の大谷は、暴投のあと、1死一、二塁で中村剛也に先制3ランを浴び、7回を8与四球と傾斜の影響がありありだったが、「それは言い訳にならない。今日ぐらいの投球だと、(打線もリズムに乗れず)点も入らない。僕が野手でも守りたくない投手」と反省しきり。20歳ながらエースの自覚も十分の大谷は、この年初の二桁勝利(11勝)を挙げている。

 試合前の打撃練習で怪物ぶりを発揮したのが、16年8月31日の楽天戦だ。

 大谷がケージに入って打ちはじめると、当時プロ3年目の松井裕樹ら楽天ナインが拍手を送りながら、熱い視線で見守る。

 そんななか、大谷はまるでピンポン玉を弾くかのように外野に大飛球を連発。徐々にギアが上がり、ついにバックスクリーンを遥かに超える超特大の一発が飛び出した。

 なんと、東京ドームの最深部にあるスコアボードを直撃する推定160メートル弾。これには松井も目を真ん丸にし、口をアングリと開けて驚き、「怪物です」と脱帽した。

 同年、大谷は投手で15勝、打者で22本塁打を記録。NPB史上初の投手、打者両部門でベストナインに選ばれ、チームの10年ぶり日本一の立役者になった。

 そして、日本最終年となった17年、大谷は2軍でも驚異の伝説を打ち立てる。

 年明け早々、1月の自主トレ中に右足首を痛めた大谷は、侍ジャパンのエース&主砲の期待を担っていた第4回WBCを無念の出場辞退。さらにシーズン開幕後も、4月8日のオリックス戦で走塁中に左大腿二頭筋肉離れを発症したばかりでなく、インフルエンザB型も併発し、心ならずも2軍で調整することになった。

 そんなご難続きを経て、2軍の本拠地・鎌ヶ谷スタジアムで屋外のフリー打撃を開始した大谷は、2日目の5月28日、38スイング中11本が柵越え、うち3本が場外弾と復調をアピールする。

 ところが、5スイング目に放った場外弾は、打った直後、大谷自身も思わず「やべえ!」と言うほどの大きな放物線を描くと、右中間の防球ネットを越えたあと、約130メート離れた球場の外周道路沿いに停めてあった白いワンボックスカーの屋根をドスーンと直撃してしまう。

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