4月20日、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)のリードボーカルを務めたレスリー・マッコーエンさんが急逝した。享年65。数々のヒット曲を携え世界中に“タータン旋風”を巻き起こしたレスリーさんと日本との縁は深い。苦悩を抱えたスターの晩年は、日本人の妻と家族に支えられていた。
【写真】BCRの復活ライブで歌うレスリーさんとアラン・ロングミュアーさん
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「S・A・T・U・R・D・A・Y NIGHT!」
1970年代に数多(あまた)の少年、少女たちの心を震わせた青春のおたけびのような、あの歌声。レスリーさんの急逝は4月22日、Twitterの公式アカウントを通じて遺族から発表された。
「私たちの最愛の夫で父親でもあるレスリー・リチャード・マッコーエンの死を深い悲しみと共にお伝えします。2021年4月20日火曜、レスリーは自宅で急逝しました。現在、我々は葬儀の手配中で大きな喪失にショックを受けているため、プライバシーの尊重をお願いします」(※原文は英語)
18年にBCRの創設メンバーでベーシストのアラン・ロングミュアーさんが、20年にはギタリストのイアン・ミッチェルさんが亡くなり、そしてレスリーさんまでもが──。かつて「ビートルズの再来」とまで言われた世界的人気バンドのフロントマンの急逝にファンや関係者からは悲しみの声が相次いだ。
日本では、過去に共演経験のある川崎麻世が自身のInstagramに「大好きなベイシティローラーズのボーカル、レスリーが亡くなった。35年前にNHKレッツゴーヤングでも共演してるし、2019年2月にはライブを観に行って楽屋で再会も出来て、また国内のライブがある際には行きたいと思っていたのに」と投稿。交流があった桃井かおりもInstagramにレスリーさん、レスリーさんの妻との3ショットを投稿し「こんなに元気だったのに。悲しい! RIP レスリー」と胸の内を綴っている。
レスリーさんは1955年11月12日、北アイルランド出身の両親の元、スコットランドの首都エディンバラで生まれた。18歳の時、先任のリードボーカルだったノビー・クラークに代わってBCRに加入し「バイ・バイ・ベイビー」「二人だけのデート」などヒット曲を連発。その甘い歌声とファッショナブルなタータンチェックの衣装で、ティーンエイジャーを中心に絶大な人気を博した。コンサートを開くたび続出する失神者の数はそのつど新聞に報じられ、家出して渡英する若者がニュースになるなど「タータン旋風」は社会現象となった。