■タイガースのレコードを机に
78年に方向性の違いから脱退したものの、近年はたびたび再結成に参加し、日本でのライブ活動も積極的に展開していたレスリーさん。親日家として知られたが、彼と日本との縁をより深いものにしたのが「Peko(ペコ)」のニックネームで知られる日本人の妻の存在だ。Pekoさんをよく知るザ・タイガースの瞳みのるさんは、ニュースでレスリーさんの訃報を知り、驚いたという。
「Pekoに『ご主人のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。心中辛い事と察します。まだまだ若く、僕よりほぼ10歳近くも年下なのに。ご子息、十兵衛さんも辛いでしょう。ペコは、レスリーの分まで健康で長生きして下さい。また、会える日を楽しみにします。』というお悔やみの言葉を送ると、しばらくして『………メールありがとうネ 十兵衛と私 涙が止まらない………ピー元気でいてね。。。』という返信がありました」
瞳さんは旧友とのやりとりを振り返りつつ「65歳というと、まだまだこれからの世代。家族仲がとても良さそうで、直前まで元気そうだっただけに、残されたPekoと十兵衛くんたちには辛いものがあると思います」と、その死を悼む。
瞳さんとPekoさんとの出会いは、グループサウンズブームが盛り上がりつつあった66年だった。
「Pekoとはザ・タイガースがまだファニーズという名前で大阪のラサプールで演奏した時に知り合いました。熱烈な音楽ファンで、共演した先輩バンドの加賀テツヤとザ・リンド&リンダースを観に来ていたんです。まだ10代半ばなのに大胆なビキニスタイルで、“トランジスターグラマー”って言葉がぴったり。明るく社交的な性格で、リンドのメンバーに紹介されるとすぐに仲良くなりました。翌年にデビューしてからは疎遠になってしまっていたんですが、8年ほど前に六本木でお店をやっていた柳田シローから『Pekoが会いたがっている』と知らされて再会し、また友達付き合いが始まりました」(瞳さん)