
広島で24年プレーし、通算打率.302、2119安打、295本塁打を記録した前田智徳。落合博満がイチローとともに「天才」と認めた打撃センスを発揮する一方で、求道者を思わせるストイックな姿勢が高じるあまり、「変人」と呼ばれることもあった。
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プロ2年目、1991年2月24日のオープン戦(ロッテ戦)で、前田は二塁打4本を含む5打数5安打を記録したが、「しっかり打てたのは4打席目(右翼フェンス直撃二塁打)だけ。ほかの打席は当てただけみたい」と不満を口にした。「バットの芯でボールをとらえたものだけがヒット」の信念は、これまた「天才かつ変人」と言われた、かつての大打者・榎本喜八と相通じるものがある。
そんな前田らしさが如実に表れたのが、92年9月13日の巨人戦だ。
1対0とリードの5回2死無走者、前田は川相昌弘が中前にはじき返した打球をダイレクトキャッチしようと突っ込み過ぎて後逸。同点ランニングホームランにしてしまう。
この日の前田は、1回にけん制死で先制のチャンスを潰しており、「何が何でもアウトに」とはやる気持ちが裏目に出た。
だが、若き天才打者は、1対1の8回1死一塁、右翼席上段に決勝2ランを放ち、自らのミスをバットで挽回する。
直後、前田は全身から気を発するようにガッツポーズを見せたが、ベースを回っている最中に涙を浮かべ、8回裏の守備に就くまで泣いていた。感激の涙と思われたが、事実は違っていた。
試合終了後、前田はヒーローインタビューを断り、報道陣にも「すいません。何もありません」と答えただけで、バスに乗り込んでしまう。その理由を、前田は広報を通じて「打ったことより、北別府(学)さんの勝ちを、あの(ランニング)ホームランでなくしたことで」と説明した。
同年7月16日の中日戦で通算200勝を達成した北別府は、8月2日の巨人戦でシーズン12勝目を挙げたのを最後に1カ月以上勝てず、この日も1対1の6回途中に降板。前田は直前の6回表1死二塁の勝ち越し機に中飛に倒れており、5回のミスとともに、深い悔恨の念に駆られていた。