50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「盟友」をテーマに、前編は元横綱・輪島関、次回後編は戦友の阿修羅・原選手、恩人のロッキー羽田選手について、つれづれに語ってもらいました。
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輪島大士さんは、本当なら俺と同じ二所ノ関部屋に入る予定だったんだ。部屋の後援者も石川県までしょっちゅう輪島さんに会いに行ったりしていてね。
でも、日本大学に入学すると、隣が花籠部屋だったもんでそこで交流ができて、結局、花籠部屋に入ってしまった。二所ノ関部屋では、横綱の大鵬さんや大関の大麒麟さんだけでなく、他の先輩も「輪島の野郎! 花籠部屋に入りやがって! お前ら、絶対に輪島に負けるなよ! 負けたらシゴキだ!」と息巻いてね。その時、俺は幕内にいたから「面倒くさいなぁ」なんて思っていたけど(笑)。
ところが、輪島さんはすぐに十両に上がって、「負けたらシゴキだ!」と偉そうにしていた先輩たちも対戦すると揃ってコロンコロン負けて「輪島は強い。相撲も上手い」なんて言い出してさ。あんたらにはポリシーとかプライドはないのか! って呆れたよ(苦笑)。
たしかに輪島さんは強い。俺もたしか一度対戦したが、0.5秒で負けちゃった。長く関脇にいた実力者・長谷川関も巡業先の仙台で大麒麟さんに「輪島は強くて上手い。やりづらいよ」と話ているのを聞いて、俺も納得したよ。そうこうしているうちに横綱まであっという間に駆け上ったよね。
輪島さんはすぐ横綱になって、俺はまったく接点がなかったんだけど、大阪場所で対戦表を見ていたら、輪島さんが後ろから「源ちゃん、俺たち同じ北陸県人だし、がんばれよ!」って声をかけてくれたんだ。俺も単純だから「輪島さん、いい人じゃん!」って急に親近感が湧いてね。そのとき、輪島さんは俺と同じ福井県出身で歌手の五木ひろしさんと交流があったから、福井県人のことも気にかけていたんじゃないかな。