高校生らしき白いワンピースの女の子が「最近太宰に申し訳なく思っているんです」と朗らかに語っている。「三島(由紀夫)ばかりにはまっているから」
「ぼくは太宰さんの文学は嫌いなんです」と太宰に言い放ったのは東大時代の三島だが(『私の遍歴時代』)、少女はそんなエピソードも知っているのか。実は中学生と聞いて、周囲の大人たちがざわめいた。先ほどから墓前にうずくまってじっと動かないでいた黒装束の女性も振り向いた。
「私の太宰遍歴はたった2年しかありません。両親が好きで、読むようになりました。家も近くだから、こうして一人で来たんです」
教科書で『走れメロス』を知り、好きな作品は『人間失格』だという。
死後70年以上経っても新しい読者が生まれる太宰治。ここへきて、太宰が入水した玉川上水に駆けつけた僕の母も、当時は中学生だったと気がついた。
帰りしな、「また来年もお会いしましょう!」と文学少女がピンク色の傘を掲げた。その色はさくらんぼの色でもあった。
文学の風景が時空を超え、夢のようにタイムスリップした梅雨の午後だった。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2021年7月16日号