社会学者、下地ローレンス吉孝。大坂なおみや八村塁が日本人選手としてもてはやされる。その一方で、彼らは差別にも遭ってきた。外国にルーツを持つ人びとが、日本で生きていく上で抱える問題は、まだまだ知られていない。下地ローレンス吉孝は、日本で生きるミックスルーツの人たちにインタビューを重ね、その問題を浮き彫りにしてきた。
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アメリカ出身の祖父・クラレンス・H・ローレンスと沖縄出身の祖母・金城光子が恋に落ちたのは、現在の那覇市の小禄(おろく)だった。今は自衛隊基地として使用されている場所は、1987年に返還されるまでは広大な米軍基地だった。第2ゲートの近くに住んでいた祖母はハウスキーパーとして基地に出入りし、そこで厨房スタッフとして働いていた祖父と出会った。2人の間に50年に生まれたのが、下地(しもじ)ローレンス吉孝(よしたか)(34)の母である。母が生まれる前に祖父はアメリカに帰国してしまい、母は自分の父の顔を知らないで育った。
「祖父が沖縄に来たのは朝鮮戦争が始まりそうな空気が濃厚になっていた時期だから、48~49年ごろだと思います。じつは祖父はエアフォースの軍人だと思い込んでいたんですが、最近になってそうではなかったこと、ケンタッキー生まれだったこと、祖父の父はイタリアからの移民系で、肉屋をしていたことなどを知りました。今でも映画やドラマでよく描かれていますが、当時イタリア系移民はアメリカで差別されていました。祖父の母はスコットランド系の移民だそうです」
下地がスマホで曽祖父の写真を見せてくれた。苦み走った表情で葉巻をくゆらす姿は、マフィア映画にでも出てきそうなほどすごみがある。
祖母は沖縄戦のときに、本島のあちこちを死にものぐるいで逃げまどい生き延びた。一緒に逃げていた祖母の伯父は米兵の車から機関銃掃射を受けて殺されたという。
「なんでおじいちゃんは日本に来たの?ってよく聞かれます。ビジネスで来たとかなら答えやすいのだけど、戦争で来たと言うと、『重い話を聞いてしまってごめんね』という雰囲気になるんです。母も戦争がなかったら生まれてなかったわけで、戦争はよくないに決まっているけれど、敵同士の子どもも生まれるわけです。“日本人”のアイデンティティーはじつは複雑なんです」