巨人は16年にもソフトバンクを6対2で下し、21年ぶりの日本一を達成。MVPは、9回のバックスクリーン弾など計3打点を挙げた20歳の4番・岡本和真である。

 山本泰寛(現阪神)から始まる打線は、18本塁打、74打点の岡本を挟んで、3番に大田泰示(現日本ハム)、5番にアンダーソンと破壊力十分。投手陣もチーム最多の9勝を挙げた江柄子優樹や各6勝の平良拳太郎(現DeNA)、中川晧太と駒が揃っており、2010年代ではイースタン最強と呼べるだろう。

“東の巨人”に対し、“西の阪神”も、98年から06年までの9年間でウエスタンV7回、ファーム日本一4度の好成績を残した。

 岡田彰布2軍監督時代の02年のファーム日本選手権では、帆足和幸、鈴木健、中島裕之、細川亨ら錚々たるメンバーの西武を16対3と粉砕している。

 打率.370の4番・関本健太郎をはじめ、10本塁打の梶原康司、9本塁打の桜井広大、8本塁打の喜田剛らの強力打線は、「もともとバッティングを見てきたから」という岡田監督の育成の賜物。そんな強打者たちを差し置いてMVPに輝いたのは、3安打4打点をマークしたドラフト6位のルーキー・藤原通だ。藤原は06年のファーム日本選手権、ロッテ戦でも喜田、桜井とともに3者連続本塁打を記録するなど、“2軍版シリーズ男”だった。

 一方、投手陣は、この日の先発・藤田太陽、2番手で勝利投手になった安藤優也のドラ1&自由枠コンビに加え、シーズン9勝のカーライル、6勝の横田久則、さらには、“火の玉ストレート”でブレイクする前の藤川球児も5勝と、ベテランや助っ人も交えて多彩な顔ぶれだった。

 この阪神のウエスタン1強にストップをかけたのが、中日だ。04年に土谷鉄平の活躍で4年ぶりの日本一を達成。07年にも、坂本勇人、亀井義行(善行)が3、4番を打つ巨人に7対2と快勝し、11年まで計4度日本一になった。

 07年は、5勝を挙げ、チームで唯一規定投球回数に達した吉見一起をエースに、同年の日本シリーズで8回までパーフェクトの快投を演じた山井大介も6勝、当時42歳だった山本昌も3試合で2勝を挙げるなど、1軍の実力者も強力援護していた。

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