阪神が2軍で強さを発揮していた時代の主軸・桜井広大 (c)朝日新聞社
阪神が2軍で強さを発揮していた時代の主軸・桜井広大 (c)朝日新聞社
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 プロ野球の最強チームといえば、昨季4年連続日本一になったソフトバンクやV9時代の巨人、1986年以降の7年間で日本一6度の西武などが挙げられる。

 それでは、2軍史上最強チームはどこか?この質問に答えるのは、容易ではない。なぜなら、2軍で好成績を挙げた選手は、当然1軍に呼ばれるから、投手のローテーションやオーダーも不動ではなく、結局、1軍で結果を残せなくても、2軍で安定した成績を挙げる“1軍未満”の選手が中心になるパターンが多いからだ。

 そんななかで、最強の名にふさわしいチームを挙げると、80年代後半から90年代前半にかけての巨人が該当する。

 ファーム日本選手権が始まった87年以降、9年連続イースタンで優勝し(86年も含めると10連覇)、うちファーム日本一になること7度。打の中心になったのは、外国人枠(当時は2人)の都合で2軍暮らしが多かった“アジアの大砲”呂明賜だ。

 来日1年目の88年は、5月27日までの2カ月足らずで打率.397、10本塁打と打ちまくり、1軍切符をゲット。2軍が“主戦場”となった翌89年も.333、15本塁打、90年にも.323、10本塁打を記録し、“常勝ヤングジャイアンツ”を支えた。

 そして、日本最終年の91年は、シーズンでは.253、9本塁打と成績を落としたものの、ウエスタンの覇者・広島とのファーム日本選手権で、4番の仕事をきっちり果たす。

 5対5で7回途中降雨引き分けとなった第1戦で3打数2安打を記録した呂は、3日後の9月21日に行われた再試合でも、初回に秋村謙宏から左越え先制2ラン。2点をリードされた6回にも、3番・後藤孝志のタイムリーで1点差に追い上げた直後、貴重な左越え逆転二塁打を放ち、一人で計4打点を挙げた。

 試合は7対7の9回2死からルーキー・元木大介の四球などで一、二塁とチャンスを広げたあと、6回からロングリリーフの橋本清が左翼線にサヨナラタイムリー。二塁上から橋本に球種をサインで伝達するなど、当時から“クセ者”だった元木が日本一決定のホームを踏んだ。

 この結果、呂はMVPに選ばれ、有終の美を飾って巨人を退団。ちなみに、惜しくも日本一を逃した広島の4番も、不振で1軍登録を抹消されたバークレオだった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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