布袋寅泰(ほてい・ともやす)/1981年にBOOWYのギタリストとしてデビュー。解散後はソロ活動の他、吉川晃司とのユニットCOMPLEXほかで活躍(本人提供)
布袋寅泰(ほてい・ともやす)/1981年にBOOWYのギタリストとしてデビュー。解散後はソロ活動の他、吉川晃司とのユニットCOMPLEXほかで活躍(本人提供)
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 来年で還暦を迎えるミュージシャンの布袋寅泰さん。映画「キル・ビル」の主題歌で大成功を収めていたにもかかわらず、50歳でロンドンへの移住を決断した。きっかけは、BOOWYのときに作った歌だった。AERA 2021年8月2日号から。

【画像】9年前、AERA表紙を飾った布袋寅泰さん

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 10年前、東日本大震災が起き、日常が大きく変わった。布袋寅泰(59)は、当時49歳だった。

──10年前の今日のこと 覚えているかい/明日は待っていなくても来ると思ってた──

 今年、活動40周年を迎えた布袋。新譜「Pegasus」に収録された「10年前の今日のこと」では、何も起こらない当たり前の「ある一日」も、ときに当たり前ではなくなる、そんな世界を穏やかなトーンで描く。

 東日本大震災の翌年の8月、「50歳を迎えた今もなお、その夢は僕を奮い立たせて止まないのです」という言葉と共に、布袋はロンドン移住を決断した。

「気持ちも身体も元気だし、今ならまだ遅くないという感覚でした。それは50代という大きな区切りを前にした、焦りでもありましたね。3.11で『生きる』ということをあらためて考えたことも大きかった。当たり前の日常は、当たり前ではない。わかっていながら人は、つい当たり前の毎日に何もない毎日を重ねてしまう。それがまた焦りにつながる。人生という一日一日、時間に対する考え方が、大きく変わりました」

 いつかは世界の舞台で、自分の力を試してみたい。布袋がバンド活動を始めた頃からの夢だった。その夢という名の石ころをポケットに詰め、「いつ投げようか」と踏ん切りがつかないまま50歳が目の前に来た。そんなとき、自分の歌がブーメランのように返ってきたという。

「ある日、BOOWYのときに作った『Dreamin’』という、みんなまだ夢を追いかけているかいと問いかける歌を歌いながら、気づいたんです。歌っている自分は、夢を今も追いかけているかと。このまま石ころを投げないままなら、僕は夢の歌を歌う資格がない。そう思いました」

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