瀬戸大也(左)と萩野公介 (c)朝日新聞社
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 金メダル2、銀メダル1、入賞数は9。これが東京五輪の競泳選手団のすべてだ。総勢33人の代表選手たちのうち、男子12人、女子8人は、決勝進出ラインとした派遣標準記録を突破したはずの選手たち。少なくとも、入賞数は20を越えるはずだった。だが、ふたを開けてみれば、その半数にも満たない。前半は男子の決勝進出がゼロという日が続いたが、後半に巻き返して5人(リレーを除く)が決勝に進出。その陰で、女子は大橋悠依以外、個人種目では決勝進出者がゼロという結果に終わってしまっていた。

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 過去を振り返ると、リオデジャネイロ五輪は入賞数22のメダルは7。ロンドン五輪では戦後最多となった11個に加え、入賞数は19。北京五輪は入賞数が20のメダルは5。そしてアテネ五輪はメダルが8、入賞数は20。シドニー五輪がメダルが4の入賞は18。アトランタ五輪はメダルはなかったが、入賞は12。バルセロナ五輪はメダル1の入賞が16。ソウル五輪がメダル1の入賞が3。

 そう、33年も遡らなければ、入賞数がひと桁台はないのである。大会前は世界ランキング上位も多かったはず。一体、どこで歯車が狂ってしまったのか。

 最も大きかったのは、初日だろう。男子400m個人メドレー金メダル候補の瀬戸大也が9位で敗退。絶好調と豪語していただけに、本人も、チームにも動揺が広がった。対照的だったのは女子400m個人メドレー。大橋悠依が初の五輪で初優勝を飾った。

 しかし、瀬戸ショックは大橋の金メダルですら止めることができなかった。2日目に登場した次の金メダル候補であった松元克央は、男子200m自由形の予選で17位タイで予選敗退。「信じられないです」の言葉とともに呆然とした表情でプールをあとにした。

 瀬戸、松元といった前評判の高かった選手たちが、軒並み予選落ちという現実に、誰もが動揺を隠せなかった。決勝で戦って敗れたのであればまだしも、メダルがかかったレースにすら参加できなかった。

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本多の銀で流れが変わるも…