次の激突は08年の北京五輪だ。星野仙一氏を監督に据え、五輪で正式種目となってから初となる金メダルに挑んだ日本だが、予選で韓国に敗れると、メダル確定がかかった準決勝で再び韓国に6-2で完敗した。その後、3位決定戦(米国戦)でも敗れ、まさかのメダルなし。期待が高かった分、風当たりは強く、特に準決勝で痛恨の落球をしたG.G.佐藤(当時西武)は、メディアやファンから「戦犯」扱いされた。
一方の韓国は決勝でキューバを下し、野球競技で同国初の金メダルに輝いた。日本との2試合で好投した左腕の金廣鉉は、母国で「日本キラー」ともてはやされた。
因縁はまだまだ続く。09年、第二回WBCで韓国はまたもやらかした。第二ラウンド、4-1で日本に勝つと、マウンドに懲りずに太極旗を立てたのだ。ただ、決勝では延長までもつれる死闘の末、日本が5-3で韓国を破り連覇を果たした。この大会、日韓戦は決勝を含め5試合も組まれ、日本は3勝2敗と意地を見せた。
15年の「第一回プレミア12」では、準決勝で韓国と当たったが、9回に3点差をひっくり返され、4-3で逆転負け。7回までをわずか1安打無失点に抑えた大谷翔平の力投をふいにした。
19年の第二回は、決勝で日本が5-3で韓国を下し優勝した。
「集客が今一つの大会でしたが、日韓戦は事実上の消化試合を含め、すべて4万人超でした。韓国側の問題行動で過熱している点はありそうですが、手に汗握る好勝負が多いのも事実だと思います」(同)
次回のパリ五輪では野球は行われず、その後、復活する保証はない。両国にとって、東京五輪は金メダルを目指す最後のチャンスになるかもしれない。
韓国選手団は選手村に、ハングルで書かれた政治的な横断幕を掲げるなど、スポーツと政治を切り離さない態度が見え隠れする。万が一にも、横浜スタジアムのマウンドに太極旗を立てられないために、侍ジャパンは勝利するしかない。(AERA dot.編集部)