19年にはジャニーが亡くなり、新体制へと移行。メリーが名誉職に退き、ジュリーが社長、元タレント(タッキー&翼)の滝沢秀明が副社長に就任した。ちなみに、ここ数年、去っていったメンバーの多くは滝沢の先輩にあたる。事務所上層部の求心力低下で独立してもなんとかやっていけるようになったことに加え、後輩の下では何かとやりにくいということも、影響しているのではないか。
これは新体制にとって、プラスでもあればマイナスでもある。若返り路線のアピールにはつながるものの、新たなタレントを売り出すためのバーター戦略に支障をきたすからだ。かつて、山口達也が司会をしていた「Rの法則」(NHKEテレ)にSixTONESの田中樹やジェシーが出演していたように、先輩のバラエティーやドラマで後輩を売り出す手法には、実績や人気のあるベテランや中堅が欠かせない。まして、現在は稼ぎ頭の嵐が活動休止中だ。求心力回復に不可欠な、新たな人気者の育成においても、古い人材がごっそり抜けてしまうのは損なのである。
そんななか、特異なポジションにいるのがキンキだ。彼らは、滝沢の先輩でありながら無傷で生き残っている。デビュー順では、嵐もタッキー&翼の先輩だが、ジャニーズJr.時代の序列は滝沢のほうがはるかに上だった。いまや滝沢にとって、一目置かなくてはいけない先輩は東山紀之と木村拓哉、そしてキンキのふたりくらいだろう。
また、キンキはSMAPとも親しかった。傍流の飯島マネが成功させたため、SMAPは事務所内で孤高の存在となり、Kis-My-Ft2以外の若手たちとの接点が少なかったが、キンキは例外。SMAPにとっての「最後の後輩」とも呼ばれるゆえんだ。
かと言って、主流派と敵対していたわけでもない。ただ、こんな発言で注目されたことがある。2013年から翌年にかけての、恒例の年越しライブ「ジャニーズカウントダウン」の最後に、キンキとタッキー&翼以外のタレントが去ったあと、光一がこんな冗談を口にしたという。
「中立なオレらがステージに残りましたね」