元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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徳島の友人が藍を郵送してくれた。大きく育て、黄ばんだ白シャツを藍染めする野望に燃えている(本人提供)
徳島の友人が藍を郵送してくれた。大きく育て、黄ばんだ白シャツを藍染めする野望に燃えている(本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんが友人からもらった藍

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 歴史的五輪の真っ最中。テレビがないので、その様子は銭湯の常連仲間から聞くか、翌日の朝刊で知る日々。私の周囲ではなんだかんだと楽しみにテレビを見ているのはお年寄りたちだ。やはり、国家の成長とともに生きてきた世代特有の五輪への思いがあるのかもしれない。「金とったよ!」などとばあちゃんに笑顔で報告されると、素直によかったなと思う。何よりまず、そのばあちゃんにとって。そして、ばあちゃんにその喜びを与えてくれた選手にアリガトウと思う。このくらいの距離感が私にはちょうどいい。

 購読している朝日新聞も抑制的な報道で、ホッとしている。連日「金」だの「銀」だの大見出しが続いたらどうしようと思っていた。この状況下では、兎にも角にも試合に臨み、競い合うことができた世界の選手たちに「よかったね」という気持ちなのである。この場に来られなかった選手のことも思う。そんな中、メダルの数がどうのと言われてもどこぞの宇宙からの交信レベルに違和感しかない。というか、よく考えたらこれまでだって、国別のメダル数を競うなどなんとも幼稚な話だったのだ。

 改めて、私に見える世界は確実に変わったのだと思う。

 そもそも「勝つ」とはどういうことなのかが自分の中でわからなくなっている。五輪記事につきものの、金を取った選手の感動ストーリーにどうもついていけない。予選敗退の選手にだって感動ストーリーはあるはずで、なのになぜ勝った選手のことだけを読まされるのだろう。

 勝ち負けがあるからスポーツは面白いというが、本当にそうなのかなとも思う。勝ち負けって平等な条件が確保されてこそ楽しめる話で、この状況ではそんなものは多分確保できていない。っていうか、この状況じゃなくてもそんなものは元々確保できていたはずもない。そう思うと「参加おめでとう」という気持ちで見るのが案外まっとうなのかも……等々、どうもまとまらぬが、まとまらなくていいとも思う。しばらくモヤモヤと五輪を眺めたい。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年8月9日号