その一方で、日に日に実家とは疎遠になっていった。なぜって、そのほうが平和だったからに決まっている。
こちらが距離を置いているのを察知すると、母は逆ギレするみたいにわたしに敵意をむき出しにした。
大好きな父とは話したかったので、たまの休みには実家に寄ることもあったが、そんなときでも母はわたしの顔を見るなり、
「おまえ、なにしに来たんだよ? 早く帰れっ」
と露骨に眉をしかめて乱暴な言葉を投げかけた。極端にわたしを毛嫌いしていた。
「せっかく来たひとり娘にそんなことを言うもんじゃないよ」
父が悲しげな顔でたしなめると、よけいに反発して、
「おまえの顔なんか見たくない! 早く死ねっ」
とひどいセリフを吐き、私を寄せつけまいとした。
家じゅうに持病の痛み止めの注射器が転がり、母の服の袖が血で汚れている状況は、昔となにひとつ変わっていなかった。
世間には、実の母から何度も“死ね”と言われた経験のあるひとはそうそういないだろう。
我が家のこの関係性はにわかに理解し難いと思う。わたし自身もこのときには、母の心境がまったくわからなかった。
(なぜ自分がそこまで嫌われるんだろう? 言われるままに勉強し、望みどおり医者にもなった。それでもまだなにか足りなかったんだろうか? それともなにか悪いことをした? 薬の使用をとがめたのがそんなにいけないことだったのか?)
いくら考えても答えが見つからずにいた。
これに関しては、その後何十年も経ってから依存症専門の精神科ドクターと話をした際に言われたことが心に残っている。
「あのね、母親にとって娘は最愛の対象なんだよ。それと正面から向き合いながら間違った薬物を使い続けるときに感じるのは、背徳感以外のなにものでもない。とうてい正常な精神状態ではやっていられないほど苦しいものなんだ。だからこそ、あなたを遠ざけようとそんな汚い言葉が口に出たんだと思うよ」
こう諭されたことで、あの頃の母のどうしようもない苛立ちの源が、ほんの少しだけわかったような気がした。
携帯電話が鳴ったのは、わたしが結婚して数年が過ぎた頃だった。
電話の主は父だった。