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 医師・コメンテーターとして活躍するおおたわ史絵さん。快活な印象のあるおおたわさんは、実は幼い頃から母の機嫌に振り回され、常に顔色をうかがいながら育ってきたといいます。母が薬物依存症の末に孤独死したことをテレビで公表し、大変な話題を呼びました。

 幼少期からの過酷な体験、親との別れ、そして母の呪縛からどうやって逃れたのかを克明につづった『母を捨てるということ』から抜粋して掲載します。

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 わたしは、実家を離れてからは生活の基盤を夫との暮らしに移し、医療のほかにも連載エッセイを書いたりラジオ番組をやったりと、なかなか盛りだくさんな日々を送っていた。

 そもそもなぜ医師としての生きかただけに飽き足らず、メディアなどに足を踏み入れてしまったのか?

 これもよく訊かれる質問なのだが、これについては自分のなかで明確な答えが出ている。

 ただひとつ、「誰かに認めてほしかったから」。

 幼少期から母親に褒められることがなく、認められた感覚のないわたしは、自己評価がすこぶる低い。それを埋めるために、誰かに見てほしい、認めてほしい、そしてできれば褒めてほしい……という願望がひと一倍強いのである。

 おそらくこれはわたしに限ったことじゃなく、テレビに出ているひとの多くはこの傾向がある気がする。

 生まれ育ちの事情はそれぞれだが、もとから幸せで満ち足りた人生であれば、なにも大衆に顔と恥を晒してまでリスクの高い生活を選ぶ必要などないのだから。アイドルもタレントもミュージシャンも、たぶん欠けているなにかを埋めるために一生懸命にもがいているのだと思う。

 わたしの場合、コネも才能も美貌もないところからのメディア業のスタートは、それは困難極まるものだった。星のかけらを掴むような現実離れした計画で、誰もが、「メディアで成功するなんて、そんなの無理だよ。おとなしく医者だけやってたほうが賢明さ」 と苦言を呈した。おっしゃるとおり、医者になることの何倍も苦労した。でもそのぶん挑戦のし甲斐があった。

 一本の連載に歓喜し、初めてのレギュラー番組には胸を躍らせた。どれもが人生で初めて経験するような充実感で、毎日を必死で駆けていた。

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「おまえ、なにしに来たんだよ? 早く帰れっ」