無駄に歳だけ食った頭の固い老人予備軍だ、と呆れます。歴史、音楽、美術、政治、経済、流行りもの……一分以上語れるジャンルが、なにもありません。なんの話題もない、初老の老いぼれた男。勉強してこなかったからしかたありません。見聞の狭さ、教養の浅さに呆然とし、しかし、これから頑張ろうと本を読んだりしても、記憶力、理解力もめっきり落ちて身につきません。

 いろいろ書きましたが、今の望みは、「さっぱり」した気分で、いろんなことを「面白がりたい」。「それだけ」なのですが、諦めなければいけないでしょうか?

【森博嗣さんの答え】
 実際に何を試されましたか? というのが、この種の相談に対するお答えの定番です。

 なにかを少しでも試す、実際に行動すれば、見方も考え方も変わってきます。元気とか気分とか興味などといったものは、簡単に現れたり消えたりしますが、しょせん大したものではない、といえます。そういった小さなものに囚われるよりも、自分で考え、自分が今できることを試してみましょう。

 なにもしないうちから、「諦める」ことを考えて悩まれているわけですが、なにもしなければ、諦めることさえできません。なにかやってみて、壁にぶつかったときに、「そうか、これが諦める機会というものか」とわかることでしょう。

 無駄に歳を取った、とおっしゃっていますが、生活するだけで大変だったり、家族のために犠牲になった時間というのもあることと想像します。「こんな年寄りになってしまった」と嘆くよりも、今からでも、なんでも始めてみてはいかがでしょうか?

 もし、やってみて駄目だったら、別のものを試してみましょう。20くらい試してからでも、駄目だと諦めることはできます。

 そうですね、とりあえずは、テレビを見ることをやめてみてはいかがでしょうか? やめることも「行動」です。時間がそこに生まれます。なんでも自由にできる、自由に考えられる時間です。一番良いのは、勉強でしょう。勉強をされることをおすすめします。

 ただし、人に「語れる」ようになるためにするのではありません。そこをお間違いなく。

【謝辞】
 ご協力というのか、ご相談をいただき、感謝いたします。返答がお気に召さなかった場合は、上がった血圧を利用して、是非問題解決に活かしていただければ、と思います。

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