人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「秋は出会いの季節」。
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軽井沢の秋は早い。暦の上で処暑になるとどこか秋めいてくる。
今年は八月の二十三日が処暑だった。暑さが峠を越して朝夕には涼しい風が吹くようになる。二十四節気の一つで、暑さの終わりをあらわしている。東京に住んでいると、ほとんど感じることがないが、今年のようにオリパラとコロナを避けて長い期間、軽井沢に滞在すると身をもって感じる。
八月の初め頃までは、半袖で平気だったのが、長袖でなければ寒く感じるし、雨が降り続いた時など、暖房をつけた日もあった。
そういえば、秋雨前線が日本列島に停滞してお盆休みなど気温が低く、来る日も来る日も雨の時期があった。私の山荘は旧軽の愛宕山の麓なので、天からまっすぐに落ちてくる雨足が激しかった。町の防災無線に耳をすませたが、音がはね返ってよく聞こえない。しばらくしてようやく聞きとれた所によると、「旧軽井沢地区、高齢者等避難開始」が出されたという。
いわゆるレベル3、体の不自由な人や高齢者は素早く避難出来ないので、前もって指示を出すのだろう。
まず大丈夫なことはわかっているが、雨足が強くなって不安な夜を過ごしたくないので、駅前の知人のペンションに避難した。
そこでも、もう暖炉を焚いていた。
翌日戻ってみると、まったく無事だったが、全国各地で豪雨による土砂崩れや洪水があり、その被害は甚大である。
「こんなことは生まれてはじめて」「四十年以上住んでいるが、あり得ない」
テレビで被災者の証言を聞くたびに、地球が方々で傷んでいることを感じさせられる。
「庭の花々は無事だったろうか?」
再び降り出した小雨の中、傘をさして石段を降りてゆく。軽井沢の夏の花、朱色のフシグロセンノウ。毎年開く場所に今年は咲かない。あった! 石段の途中にたった一輪。激しい雨にも茎は折れてはいない。