演技の訓練もしないまま、連続ドラマ「キライじゃないぜ」で俳優デビュー。ちゃんと台本は覚えていくが、うまく動けずに演出部から怒鳴られる日々が続いた。態度が悪いと言われ、サブ(音声や映像を操作する副調整室)に正座させられたこともある。「この現場が終わったら全員をブン殴って自分もやめる」。森卓一(58)が原田のマネジャーになったのは、原田がそんな物騒なことを考えていた20代前半のころだ。森は言う。
「挨拶しても『あぁ』しか言わない。ずいぶん無愛想なやつだと思いましたよ」

 しかし、ドラマの撮影が終わり、TBSの緑山スタジオの最寄り駅、小田急線鶴川駅で見た光景が森にやる気を起こさせた。なんとなく目をやった反対側のホームにいる原田の、ただ歩いたり、ふと立ち止まって佇(たたず)んでいたりする仕草があまりにもかっこよかった。目が離せなくなった。

「こいつは絶対に売れる。いや、売らないといけないと思った。話をするうちに打ち解けて、実は礼儀正しくて良いやつだとも分かりましたしね」
 次第に芝居の勘もよくなり、1996年には映画「日本一短い『母』への手紙」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。陣内孝則、石黒賢、哀川翔ら見た目も中身もカッコいいと思う先輩俳優と共演するうちに、かつて抱いていた「芸能人はダサい」という思いも消えつつあった。それでもどこか後ろ向きの気持ちはなくならなかった。

 そんな原田を大きく変えたのが「世界ウルルン滞在記」だった。若手俳優などが世界各国でホームステイし、その国のリアルな暮らしを通して世界の在り方を伝えるドキュメンタリー番組だ。

 そのディレクターは、ハードな旅をさせることで有名だったと森は振り返る。

「最初、番組のADに、あの人とやると大変な目に遭うから行かないほうがいいと言われて。でもそう聞くと僕も龍二も1回行きたくなるんです」

(文・大道絵里子)

※記事の続きは2021年9月6日号でご覧いただけます

AERA 2021年9月6日号より抜粋

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