平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ
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東京五輪の男子200メートル個人メドレー決勝を終えて手を振る萩野公介 (c)朝日新聞社
東京五輪の男子200メートル個人メドレー決勝を終えて手を振る萩野公介 (c)朝日新聞社

 指導した北島康介選手を始め、東京五輪で1大会2個の金メダルを獲得した大橋悠依選手など、数々の競泳選手を育てた平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第80回は、「萩野公介の東京五輪」。

【写真】東京五輪の男子200メートル個人メドレー決勝を終えて手を振る萩野公介選手

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 リオ五輪金メダリストの萩野公介の東京五輪が終わりました。全力で立ち向かい、応援してくださっている皆さんへ恩返しをしたいと選考会後によく話をしてくれました。五輪3大会で金1、銀1、銅2のメダルを獲得。日本の競泳の可能性を大きく広げました。

 栃木・作新学院高校3年で初出場した2012年ロンドン五輪のときは、大会前の準備段階と大会のときに指導を担当しました。400メートル個人メドレーで3位。日本の高校男子として56年ぶりに五輪競泳の表彰台に上りました。

 翌13年、東洋大学に入学してきて本格的な指導を始めました。日本選手権で史上初の5冠。14年の仁川アジア大会は4個の金を含む7個のメダルを取って大会MVPと、才能が開花していきます。

 しかし、15年夏に大きなアクシデントに見舞われます。自転車事故で右ひじを骨折して、カザン世界選手権を欠場しました。リオ五輪は1年後に迫っています。なんとか金メダルを取らせたいという思いで練習を組み立てて、萩野は右ひじ痛に苦しみながらよくついてきてくれました。

 リオ五輪400メートル個人メドレーの決勝前、「作戦通り行けよ」と送り出すと、「行ってきます!」と言ってぐっと見つめ返してきました。このとき「これで金が取れなかったら水泳コーチをやめよう」と考えていました。それだけ強い決意で取りにいった金でした。

 萩野は小さいときから水泳のエリートとして周囲の期待を集めていました。大学で指導を始めて、「その期待に応えようとして、いろんなものをしょいこんでしまっている」と感じていました。

 五輪金メダルは小さいころからの夢だというけれど、それは本当に自分の中から芽生えたものなのか、だれかから植え付けられた夢ではないのか──。

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