2003年10月16日には、美智子さまも教文館の影絵展を訪れ、1点1点の作品に足をとめて丁寧に鑑賞されていたようだ。藤城さんは65周年を記念する作品集において、美智子さまが訪れた時をこう回想している。
「前に原画を献上した『つり橋はぼくのハープ』(1988年作)のレプリカの前で、『この絵は私の一番好きな作品です』と申し上げると、『それはほんとうによかった』と大変嬉しそうにおっしゃっていただいたことが印象に残っています。また、『猫ずもう』(2003年作)の絵の中の、幟(のぼり)に書いてある“斜武里(シャブリ)″という字をご覧になって、いつかぼくのエッセイを読んでご存じだったらしく、『これは飼っている猫ちゃんの名前ですね』といわれたのにはびっくりし、また感激してしまいました」(『光あれ、影あれ─藤城清治 創作活動65周年記念作品集』<2冊組>、2008年)
『つり橋はぼくのハープ』は、献上後、記念に構図や色調を再現し、原画と区別するために少し大きめのサイズにして2014年にも制作しており、教文館での最後の影絵展でも展示されている。
藤城さんの影絵の原点は、終戦にある。1944年、慶応義塾大学経済学部の学生だった藤城さんは、20歳で海軍予備学生となり、翌年に九十九里浜沿岸防備につく。戦時中、娯楽が制限されていたなかで、勤労奉仕の工員らに人形劇を披露していた。だが、敗戦で、人形を海に流してしまう。戦後は物不足により、新たに人形を作ることができなかった。そこで、学生時代に演劇研究家の小沢愛圀(おざわよしくに)氏が影絵のことを話していたのを思い出し、紙とロウソクや裸電球1つで、光と影の表現を演出することができる影絵に着目するようになった。
藤城さんは、このコロナ禍の難局に立つ時世でも作品と向かい続けていた。今年の新作『ノアの箱舟』は、30年ほど前にNHKの番組企画で制作した作品をもとに、改めて作った影絵で、以前よりも波を高くし、動物を増やして描き直していた。ライフワークとして力をいれてきた聖書画の一つでもある。