
半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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横尾忠則「趣味で生きて、趣味で描いて、趣味で死ぬ」
セトウチさん
この前本誌で嵐山光三郎さんの「コンセント抜いたか」で2回にわたって、目下開催中の東京都現代美術館の「横尾忠則原郷」展の実にユニークな批評を書いて下さいました。この展覧会は、冥土の見納め展になるでしょうね。5歳の時に描いた「宮本武蔵」の<巌流島の決闘>シーンを模写した作品から今日までの600点が展示されています。
会場を一巡して、自分の一生の足跡を眺めて、ああ、短かった、たった30分の人生だった。そして愕然としました。だって5歳の時に描いた絵を越える作品がその後の作品に一点もないんです。あの<巌流島の決闘>の絵が僕の頂点を極めた最高傑作だったということにハタと気付いたのです。
あの純粋、無垢、無心、無邪気、素朴はその後の僕の絵からはすっかり消えてしまっているのです。5歳を頂点にして、進歩、進化、向上、発展は止ってしまったんです。武蔵を頂点にころがるように坂を下って来ました。文明は進歩したかも知れませんが、人間は進歩などちっともしていません。「進歩しないのはお前だけだ!」という声が聞こえてきそうですが、進歩はないけれど、変化はします。老衰も進歩じゃなく変化ですからね。
5歳で巌流島を描いたあと、8歳で夢で見た龍の絵を出品していますが、今見て思うのはやっぱり5歳の巌流島の絵に負けています。たった3年の間に上手になっているのですが、その上手さからは5歳の時の絵の魅力は失われています。確かに技術的には上手くなっていますが、あの純粋、無垢、無心、無邪気、素朴の精神が消えかかっているのです。さらに中学二年生の時、この龍の絵を掛け軸に描きました。その絵は今回展示していませんが、もう大人びて、達者過ぎて、子供の魅力は失われています。