僕が自分の絵に求めているのは達者な絵を描くことではないのです。なのに自分が求めている路線からどんどん離れて、学校で認められるような絵になってしまっているのです。これを人間の成長というんですかね。僕は人間の成長はどこかで人間性の衰退のように思えてならないのです。人間が学問や知識をどんどん吸収して、社会的に成功することを目的とする生き方が正義のように考えられています。このようにして人間が人間として確立していくのが、生まれて来た目的だとすると、段々年を取って、欲がなくなっていくと、やっぱり、5歳の絵に帰りたくなるのです。

 今僕が求めている世界はいわゆるヘタウマではなくウマヘタの世界を求めているのかも知れません。職業画家の限界から、趣味画家になろうとしているのかも知れません。趣味で生きて、趣味で描いて、趣味で死ぬ。これでいいんじゃないかと思います。趣味だから誰と競争することも評価されることも関係ないです。もっと早く趣味を哲学にしてしまえばよかった。まあ、今からでも遅くない。死んだ後の世界も趣味の世界にしてしまえばいいんです。死んでまだ競争したり、評価を求めるなんて見苦しいです。描きたくもないことを描く、これが趣味です。ほな、この辺で。

 うんと長生きしてください。

瀬戸内寂聴「芸術家になれるのは、才能のある、なしです」

 ヨコオさん

 東京での「横尾忠則原郷」展が日と共に益々大成功の噂で持ち切りなのを、心からお祝い申し上げます。特に私の半生を通じて敬愛する嵐山光三郎氏のユニークな御批評を、ヨコオさんが喜んでおられたのを、この文中で拝見して「ワーイ!」と、躍り上がって喜びました。

 益々嵐山さんが大好きになりました。私が死んだら棺をかついでほしい人たちのリーダーになってもらいたい人物です。え? ヨコオさんも棺をかついでやろうって? ハイ、お気持ちは有難うございますが、そこでまた、ヨコオさんがころんで脚を折られたりすると、一大事だから、有難くお断りいたします。

 ヨコオさんは、嵐山さんの背後に座ったまま、すべての会の進行を見ているフリをして居眠りしてて下さい。だって、ヨコオさんは、もうずっと前から、あの世とこの世を毎日往来していらっしゃるのですものね。葬式であの世に住むなんか、退屈至極でしょう。

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