――この険しい岩山は、とても攻められませんね。
しかし、実は城があるのはこの垂直岩盤の上ではなく横なんです。岩櫃山がある側から攻められる心配はないので、その方向は堀をあまり整備していません。しかし、その反対側を見ると、山頂の本丸の周囲には横堀をめぐらすなど、守りが重視されていますし、東側の山麓を流れる吾妻川は堀の役割を果たしています。この岩櫃城ほど、天然の地形を巧みに利用した山城は珍しいと思います。
愛知県新城市にある古宮城は、武田方の軍事拠点で、当時の技術の粋を凝らした城です。それほど高い山ではないのですが、完全に堀で囲み、山中にも縦横無尽に横堀をいれ、さらに山のほぼど真ん中に巨大な堀を設けて山を真っ二つにするという大土木工事がなされています。まさに武田流の理想の城を具現化した山城です。古宮城は、巨大勢力の境界域にあった「境目の城」でしたが、長篠合戦ののちは軍事的役割を終えて廃城となったので、武田氏当時の姿がよく保存されていて、「土の城でもこれだけスゴイことができるのか」と体感することができます。
新潟県上越市の春日山城は、全国の山城のなかでも、その巨大さ壮大さでは並ぶものがありません。行けども行けども曲輪が連なっていて、上杉謙信の毘沙門堂がある中心部まで、到底たどりつけません。山中に堀は少ないのですが、何しろ切岸の落差がものすごいので、とても攻める気にはなれません。
――ほかに特徴的な山城で、「攻めたくない」城は?
日本列島にあった城の多様性を示す、北海道と沖縄の城も入れたいと思います。北海道上ノ国町の勝山館は蠣崎氏の拠点城郭で、和人の城としては最大級のものです。コシャマインとの戦いを経験した蠣崎氏は、防御を重視して夷王山の山上に城を移したと考えられています。山上からは中世の港だった大澗湾を見下ろす立地で、港を押さえる城でもあったことが分かります。尾根上にはいくつもの屋敷が立ち並ぶ、壮大な北の山城です。
沖縄県の今帰仁村にある今帰仁城は、沖縄を代表する山城の一つです。琉球王国成立前の三山時代に北山王が拠点とした城で、山上の断崖絶壁を利用した堅固な城です。曲線を描く城壁の石垣がひときわ美しいのですが、敵に対してあらゆる場所で横矢がきいていて、攻め手からすれば、まことに恐ろしい石垣です。