宮川彬良氏(Daisuke)
宮川彬良氏(Daisuke)

■元軍国少年・宮川泰の作曲に「スイッチが入る」

 宮川泰氏はザ・ピーナッツ「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東京」など多くのヒット曲を持つ。ムード歌謡やアメリカンポップス風の曲が多く、軍歌調の「宇宙戦艦ヤマト」は異質だ。これは宮川氏が、太平洋戦争中に少年時代を送り、当時は典型的な「軍国少年」だったことと関係がある。「父は絵が得意で、鉛筆で『戦艦大和』をよく描いていたそうです。だから『ヤマト』と聞いた途端、父の中で何かのスイッチが入っちゃったんじゃないかな」と彬良氏は言う。1970年代当時は、まだ太平洋戦争を経験した年代が現役世代だった。西崎義展、阿久悠、そして宮川泰。「宇宙戦艦といえども、太平洋戦争中のイメージを重ねて物語を建て直したと聞きました」(彬良氏)。

 彬良氏は、高校生時代には、続編の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年公開)のレコーディングに、父の指導のもとパイプオルガンで参加した。その後、東京芸術大学に進学し、作曲家となった彬良氏は折々で「ヤマト」に深く関わることになる。2012年からはシリーズ版4作の作曲を担当している。違和感なくつながる作曲家親子の「DNA」があるらしい。「父とは同じような感性、マインドを持ち理解しあっていた部分があります。『ヤマト』に関しては父の時代から、手間暇かけて音楽を作らせてもらっている。『ヤマト』は音楽のおかげで流行ったという意識が業界にはある」と振り返る。

■違う視点から戦争をみつめる~大和ミュージアム

「宇宙戦艦ヤマト」の根強い人気は、「戦艦大和」に対するノスタルジーとも重なりあう。「46センチ砲の大砲を搭載した、当時としては世界一の軍艦でしたが、その力を発揮できないまま沈没した。とにもかくにも悲劇的運命の人に同情する『判官びいき』の意識がある日本人の心にぴったりくる。フォルムの美しさも魅力です」と大和ミュージアムの戸高館長。

 戦艦大和は1941(昭和26年)12月、呉海軍工廠で、当時の最先端の技術を駆使して極秘裏に建造された世界最大の軍艦だった。1945(昭和20年)4月、沖縄特攻作戦に向かう途中、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗組員3332人のうち3056人が亡くなった。その建造技術は戦後、大型タンカーの建造や自動車、家電製品の生産など幅広い分野に応用され、日本の復興を支えてきた。

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