俳優に続いて、歌手の殿堂入りは舟木一夫さんだ。俺が中学2年のとき、夏休みに相撲部屋に見学に来なさいと誘われたとき、舟木さんの「高校三年生」がヒットして、都会に夢を抱いた時とちょうどマッチしたんだ。初めて東京に出てきた時、この歌に後押しされて頑張ったことを今でも覚えている。この曲を聞くと「東京に行ってみたいなぁ」と思っていた俺を思い出して、懐かしい気持ちになるよ。

 それから舟木さんの歌は大体聴いているね。その後、プロレスに転向して世田谷に引っ越したとき、近所に舟木さんの家があると知って、わざわざ見に行ったもん。同じく近所のユーミンの家も見に行ったし、高田延彦の家にはピンポンダッシュしに行ったよ(笑)。

 最後に、天龍源一郎の圧倒的殿堂入りは、女房の嶋田まき代だ! 天龍のプロレスの伝説や逸話、功績は女房の包容力のおかげで生まれたと言ってもいいだろう。

 俺が毎晩飲みに行っても、それをとがめることもなく自由にしてくれた。毎晩飲み歩いて「源ちゃん、毎晩飲んでて、奥さんは大丈夫?」なんてよく心配されたけど、「うちは大丈夫! もっと飲もう」と、いつも言えたからね。そのおかげで当時一緒に飲んでいた仲間と「あの頃は毎日朝まで飲んで楽しかったね」なんて思い出話ができる。

 今にして思えば、家でもっと女房とコミュニケーションを取ればよかったんだけど、家で一緒にいると、彼女の方が物知りで、どっしり構えて度胸もあるから、俺の方が“位負け”しちゃうんだよ(苦笑)。だから夕方になると俺がそわそわし出して、女房が「飲みに行きたいんでしょ。行ってきなさいよ」って言うんだ。家では位負けしているけど、外では“プロレスラー・天龍源一郎”として名が知れていて、デカイ顔できるからね(笑)。家では女房の圧に負けるから、外で飲んで、天龍源一郎を見せつけていて、うさを晴らしていたところもあったんじゃないかな(苦笑)。

 俺がそこそこ名前が売れて、車が必要だなってなったときにまず国産車を買ったんだ。そうしたら女房が「天龍源一郎なんだから」と、ベンツ560SECを買ってくれたのも嬉しかったね。プロレスラーは夢を与える職業だからって、俺のことを理解して突き進ませてくれた女房に感謝だ。まるで勝新太郎さんと中村玉緒さん夫婦のようだろう。勝新さんが好き勝手できたのも、玉緒さんがしっかり支えてくれたからだ。勝新さんも晩年は「うちの玉緒が~」と奥さんに感謝しているようだったもんね。うちと一緒だ。今の俺は春先のつららと一緒で、ぽたぽた水が垂れて先細る一方だ(笑)。

 女房と結婚して俺の性格も変わったと思う。相撲からプロレスに転向して、坂道を転げ落ちそうな時、踏みとどまらせてくれたのも女房だ。もう、俺だけじゃなくてみんなの「プロレスラーの女房の殿堂」も作ればいいんだよ。そうしたら嶋田まき代は間違いなく殿堂入りだ! まさに“これがおいらの恋女房”だね。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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